<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
すでに55歳になってはいたものの、アチャン・サオは炎天の下で、終日行脚し、安定した、軽い足取りで、最も危険な地域を踏破した。
彼ら一群の人々が、卉晒村の近くに到着したのは、雨期が始まったばかりの時で、一陣また一陣と荒れ狂う暴風雨の後は、まぶしいばかりの太陽が目を射し、湿気の多い暑気が、土地全体に覆いかぶさった。
仏陀の取り決めによると、雨季の期間、僧は必ず行脚を止めて、遮蔽物のある場所で、3か月を過ごさなければならない。
アチャン・サオは知っていた。
肌にべたつく湿り気は、雨季の到来を告げており、適当な場所を見つけて安居を過ごし、禅の修行に専念しなければならない事を。
濃霧が漂う朝日の光の中で、アチャン・サオは弟子を連れて歩いたが、一行は裸足で、褐色の袈裟を着て、鉢を肩にかけて、安らいで静かな村に入った。
彼らは、気概のある村人たちの、どのような布施をも、喜んで受け取ったーーご飯、塩漬けの魚、バナナ、また微笑と尊敬の礼拝をも。
この、一群の、威儀荘厳の僧たちが出現するや否や、たちまち騒ぎとなり、村全体に、ああでもない、こうでもないという呼び合う声が響き、老若男女はバタバタと、急ぎ食べ物を用意して ”修行僧” に供養をした。
アチャン・サオが達白の家の戸口の前を通ったとき、家人全員がすでに、泥の道に整列して、いくらかの食べ物でも、僧の方々の鉢に入れてさしあげ、是非とも、殊勝な功徳を積みたいものだとばかりに、供養するチャンスが訪れるのを、今か今かと待っていた。
達頌は、この一群の出家者は一体誰であるのかを知りたいと焦り、何人かの友人と共に、彼らに付いて行って、彼らが一時的に足を停めている山辺まで行った。
アチャン・サオは、地域全体で言えば、深く尊敬されている高僧ではあったが、しかし、彼らは今まで、お互いに会ったことはなく、故に、この出家者がまさに、アチャン・サオ当人だと知った時、達頌は、望外の喜びを感じずにはいられなかった。
達頌は、たとえ今年の雨季の間だけでも、アチャン・サオに、この村で安居を過ごしてもらいたい、と心に決めた。
彼は、この村の隅々ーー急流のある渓水、湾曲している河川の流れ、山中にある洞窟、切り立った岩、広い草原、または緑濃い森林まで、十分に熟知していた。
達頌はアチャン・サオを連れて、自分が安居を過ごすのに適当だと思われる場所を、案内した。
アチャン・サオは、邦克朗(=バンクラン)の洞穴を、雨季を過ごす場所として選び、達頌は緊張していた気持ちを緩ませて、喜んだ。
この洞穴は森林の中にあり、周囲は平坦な砂岩で、村からは、徒歩で一時間ほどの、距離であった。
(3-10につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>