Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

<般若の独り言>ご閲覧の皆様に

日頃、<般若の独り言>をご愛読頂きまして、

ありがとうございます。

と言いましても、その内容より、<生存確認の為に読んでるよ~!>とおっしゃる知人、友人が多いので、痛し痒しというところでしょうか。

私のライフワークでありました、中国語仏教書の翻訳は、本日「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」の翻訳完了をもって、終了・卒業とさせて頂く事となりました。

今後は、修行を中心におく生活になりますが、たまには

<般若の独り言>に一家言書きますので、<生存確認>

覗きに来て下さい。よろしくお願いいたします。

  <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

般若の独り言~翻訳ワーク完全終了します

当ブログの、仏教書翻訳文をご閲覧頂いている皆様に。

本日、「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」の翻訳が終了しました(既訳の「『偽比丘』の見分け方」と重複する部分、マレーシアの国内事情解説部分を割愛しましたので、翻訳のページが繰り上がり、最初予定されていたより早めの終了となりました)。

私が、パオ・セヤドーの『智慧の光』を翻訳してから後、各種の中国語の仏教書(多くは台湾、マレーシア、タイで出版されたテラワーダ系のもの)を日本語に翻訳して、WEBに公開するようになって、20年が経ちました。

私のライフワークでありました仏教書の翻訳は、「テーラワーダ・・・ハンドブック」の翻訳を最後に、これにて、終了とさせて頂きます。

各国、各地域より取り寄せて、現在私の手元にある所の、各種の未訳の仏教書の内、『禅修指南』はパオ・セヤドーの『智慧の光』『如実知見』を踏まえ、また著者でありますプンニャ尊者の豊富な瞑想指導体験を反映させた、禅の指導書としては、秀逸なる一書であり、是非翻訳したいものと考えておりましたが、何分大部なため、残念ながら、当該著書の翻訳は、断念せざるを得ません。

これまで、当ブログをご愛読頂きました皆様、

貴重な仏教書をご恵送頂きました諸外国の皆様方、

誤記・誤植を<菩提樹文庫>までお知らせ下さいました方々、文庫管理人湖寂様(PDF制作等のご協力)、

誠にありがとうございました。

この場を借りて改めて感謝申し上げます。

法友の皆様におかれましては、毎日の聞法・修行に研鑽、精進され、一日も早く道果証悟されん事を祈願致します。

コメント欄は利用できるようにしておきますので、質問があればどうぞ。

沈黙行、またリトリートに入っていない場合に限り、回答いたします。

回答のない場合は、上記修行中であるとご理解の上、回答をお待ち下さい。

私の翻訳書の内、<菩提樹文庫>に掲載されたものは、PDF形式(正順)になっており、読みやすいかと思います。<菩提樹文庫>もご訪問下さい。

     ・・・・・・・・・

《少年易老、道果難成、一寸光陰不可軽》  

     ・・・・・・・・・

   <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」6-14(翻訳完了)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

65.

問:

我々は布施をする時、どのように回向すれば、如法でしょうか?

答:

我々仏教徒は、布施、持戒、禅修などでもって、各種の善法を累積する。

我々は、布施などを実践する時、

「Sādhu!Sādhu!Sādhu!」

(善哉!善哉!善哉!)

の随喜の詞を称えるのがよく、またそれを習慣にするのは、よい事である。

我々、未だ阿羅漢を証悟していない者は、今後においても、生死輪廻の中で流転しなければならず、それ故、未来において生を受ける時に、適切な善知識、父母、環境などの条件に恵まれて仏法を学ぶことができる様に(+今、善業を累積するが)、我々は以下の回向文でもって、それ(=その善業)を、回向することができる。

Idaṃ me puññaṃ āsavakkhayā'vaham hotu

私のこの功徳によって、諸々の漏尽に導かれますように。

Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu

私のこの功徳が、涅槃の所縁となりますように。

Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi。

私はこの功徳を、諸々の有情に分け与え、有情がそれを受け取れるよう祈願します。

Te sabbe me samaṃ puññabhāgaṃ labhantu。

彼ら一切が、等しくこの功徳を受け取れますように。 

               「Sādhu!Sādhu!Sādhu!」

                    (善哉!善哉!善哉!)

                                                                            (翻訳完了)

 

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」6-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

64.

問:我々は、比丘尊者に対して、どのように呼称するのが、如法でしょうか?

答:

比丘と比丘の間で呼び合う呼称について。

大般涅槃経》(Mahāparinibbāna Sutta)において、仏陀はまさに般涅槃しようとする、その時、アーナンダ尊者に述べた:

「アーナンダ、早くに比丘戒を受けた比丘は、遅れて戒を受けた比丘に対して、その名、姓、または賢友(Āvuso)と呼ぶ。

遅くに戒を受けた比丘は、早くに戒を受けた比丘を「尊者(hante)」または「具寿(Āyasmā)」と呼ぶ」と。

あなた方在家者は、比丘を呼ぶ時は、「尊者」または「Bhante」がよい。「Bhante」の意味は、尊敬される者(Venerable Sir)であり、一般的には尊者と呼ばれる。

具足戒を受けて10の戒齢(vassa 戒蝋;雨安居の回数)または10を超える比丘は「長老(Thera)」と呼ぶ。

具足戒を受けて20の戒齢(vassa 戒蝋;雨安居の回数)または20を超える比丘は「大長老(Mahāthera)」と呼ぶ。

(6-14につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayala>>

 

 

 

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」6-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

63.

問:

比丘は、在家者の為に、使者となってはいけない、とはどういう事ですか?

答:

在家者の為の使者とは、在家者のために伝言をしたり、在家者の使者になったり、在家者の奉仕者になったりする事を言う。

比丘は在家者のために情報の伝達係などをしてはならない。

註釈書では、比丘などの五同法者、父母、寺院に居住して出家を願いでいている者と己の浄人には、情報を伝達しても不犯とする、としている。

64.

問:

比丘尊者は、食べ物または生活用品を、在家者にあげてはいけませんか?

答:

比丘は、食べ物または生活必需品を在家者にあげてはならない。

《普端厳註》では、以下の様に言う:

「食べ物(鉢食)、(比丘が)未だ食していない食べ物(未だ触れていない鉢食)は、誰かにあげることができるか?

誰にあげてはならないか?

父母にあげることができる。

父母の世話を受け持っている人、浄人、出家希望のため、寺院に居住する者に、あげる事はできる。

比丘は、父母であっても、在家者の皿に食べ物を入れてはならない(上に述べた出家希望者の皿に入れるのはよい)。」

強盗、国王は、生命、仏教に障礙を齎す可能性がある為、彼らに食べ物をあげるのは構わない。

比丘は、食べ物と生活用品を父母、浄人などにあげる事はできるが、その他の在家者にあげることは、邪命の悪作罪となる。

また、比丘が信徒が布施したものを、上に述べた以外の在家者に転送するならば、利益でもって利益を釣る行為となる為、その過失を避けるために、その行為は、禁止されている。

(6-13につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」6-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(P187~200は、拙訳「『偽比丘』の見分け方」と重複する為、省略)

61、

問:

以前、私は一人の尊者に、あなはた第何番目のジャーナを証得しているか、聖者であるかどうかを訊ねましたが、彼はそのどれにも答えませんでした。なぜでしょうか?

答:

比丘がたとえ、ジャーナを証得していたり、または道果を体験したりしていても、仏陀は比丘が、いまだ具足戒を受けていない者に、そのことを話すのを禁止している(心堕落)。

比丘は小欲知足でなくてはならず、もし、彼が己の体験を漏らすならば、あなたは彼に特別な供養をしたいと思うのではないか?故に、仏陀は比丘に対して、具足戒を受けていない者に、己がジャーナ、道果などの上人法を証得した事を説明する事を禁止したし、また他の比丘の体験も漏らしてはいけない、と規定している。

(6-12につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」6-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

47~49.

問:

南伝の比丘は金銭を受け取らないそうですが、それではあなた方は、生活に必要なものはどの様にしているのでしょうか?出かける時は困りませんか?

答:

我々の生活必需品は、在家信徒によって提供される。

ある時には、己の親戚から得る事もある。

また、仏陀は、比丘が、以前に(+物品その他を提供する事を約束した)居士に対して、如法に必需品を請求する事を許している。

仏陀の時代、比丘たちは車(=当時の交通工具)に乗る事は非常にまれで、通常は、両足で歩いて遊行した。

現代において、我々が出かける時は電車の切符、飛行機のチケットを受け取る事もできるし、居士が車で迎えに来る事もある。

勿論、非常に少数ではあるが、今だに、足で歩いて遊行する比丘もいる。

比丘は、金銭を受け取れないだけでなく、金銭を使用する事もできないし、売買(=貿易的行為)をする事もできない。

比丘は金銭を持たないので、物を買うことはできないが、また金銭や宝物でもって、在家に対して、他の物品と交換する貿易もしない。

若し、在家が比丘方に何か布施をしたいと思った時、比丘方に対して、何が欲しいか聞いても良い。

また比丘方に「尊者、あなたが何らかの(+品が)必要な時、どの様なものでも、私に要求して下さい。」と、事前に言っておくのもよい。

また、比丘の生活用品の為の基金を、浄人(比丘に奉仕活動をする在家者。カッピヤ)に保管してもらい、浄人が生活必需品を購入し、その後に比丘に供養する、というのもよい。

しかしながら、我々は、在家者自ら布施をするのを奨励する。

(6-11につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>