Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(12‐1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(141/160)

尾注

A、五取蘊=六内、六処:

仏陀は、《相応部・内処經》(Ajjhattikāyatana Sutta)の中において、以下の様に言う:

”比丘たちよ。

苦聖諦とは何か?

それは六内処である、と言うべきである。

何の六種類であるか?

眼処、耳処、鼻処、舌処、身処と意処である。

比丘たちよ。

これを苦聖諦という”

(12-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(11-1)重要必読

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(P135、136、137、138、139の表は省略)

(140/160)

四諦(Catusacca)による究極諦の分類

A、苦諦(dukkhasacca)=

4個の大種、24個の所造色。

8個の貪根心、2個の瞋根心。

2個の痴根心、7個の不善果報心。

8個の善果報無因心、一個の五門転向心。

一個の意門転向心、一個の生笑心。

8個の欲界善心、8個の欲界果報心。

8個の欲界唯作心、5個の色界善心。

5個の色界果報心、5個の色界唯作心。

4個の無色界善心、4個の無色界果報心。

4個の無色界唯作心、7個の世間遍一切心、

6個の世間雑

1個の痴、1個の無慙

1個の無愧、1個の掉挙、

1個の慢、1個の見、

1個の瞋、1個の嫉、

1個の慳、1個の後悔、

1個の昏沈、1個の睡眠。

1個の疑、19個の世間遍一切美。

3個の世間雑。2個の無量。

1個の世間慧根。。。

B、集諦(samudayasacca)=

1個の貪=愛。

C、滅諦(nirodhasacca)=

1個の涅槃=無為界。

D、道諦(maggasacca)=

4個の出世間善心、7個の出世間遍一切心。

6個の出世間雑、19個の出世間遍一切美。

3個の出世間離、1個の出世間慧根。

A、B、C、Dに含まれない=

4個の出世間果報心。。。

(11-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(10-5)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

3.1)五蘊を無常として随観する。五蘊に対する常想(nicca-saññā)を断じ除く事ができる。

3.2)五蘊を苦として随観する。五蘊に対する楽想(sukha-saññā)を断じ除く事ができる。

3.3)五蘊を無我として随観する。五蘊に対する我想(atta-saññā)を断じ除く事ができる。

3.4)かくのごとくに五蘊を随観し、五蘊を厭離(nibbindato)として照見できたならば、これによって五蘊を好む、五蘊への愛(nandi)を断じ除く事ができる。

3.5)五蘊を厭離として随観する。離貪(virajjanto)によって、それらを照見できるならば、これによって、五蘊の貪(rāga)を断じ除く事ができる。

3.6)離貪によって、五蘊を随観する。それらがただ滅しているだけであることを照見し、それによって五蘊の集(samudaya)を断じ除く事ができる。

このことは、最も根本的な縁起支:無明と愛を断じ除いたのだと言える。

3.7)五蘊を滅として随観する。五蘊への執着(ādāna)を断じ除く事ができる。このことは、出世間八支聖道の生起を通して、五蘊の取(upādāna)を断じ除くことに到達したのだと言える。

こうしたことから、仏陀は禅修行者に以下の様に言う

”無所依にして住み、世間の一切に執着しない”。

ここにおいて、仏陀は、経文の中において、入出息を修習する禅修行者に対して全体的な総括をしている:

【比丘たちよ。

比丘は身随観身において住する

(kāye kāyanupassī viharati)。】

 

あなた方が、四念処ーー出世間八支聖道へ向かう唯一の道ーーにおいて勤勉に修習し、かつ、苦滅聖諦の証悟ーー無為界(Asaṅkhatadhātu)の涅槃を証悟する様、祈願するものである!

              パオ・セヤドー

(11-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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<『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著 (原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

 

 

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(10-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

三種類の遍知

出世間八支聖道の生起は、三種類の遍知のなかの、第三番目の遍知(pariññā)ーー断遍知(pahāna pariññā)の最後の段階に、属するものである。

(1)16観智の最初の二種類(名色分別智と縁摂受智)は、三種類の遍知のなかの、最初のグループーー知遍知(ñāta pariññā)を、構成している。

(2)16観智の中の次の二種類(思惟智と生滅随観智)は、三種類の遍知の中の、次のグループーー審察遍知(tīraṇa pariññā)を、構成している。

(3)その他の、残りの2種類、世間と出世間を含む観智は、三遍知の中の三番目のグループーー断遍知(pahāna pariññā)を、構成している。

それは主に、七つの随観によって構成されており、シャーリープトラ尊者は《無礙解道・壊滅随観智広釈》の中において、以下の様に言う:

(10-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(10-3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(1)正見(sammā-diṭṭhi):

智慧でもって、涅槃法を覚知する。

(2)正思惟(sammā-saṅkappa):

尋(vitakka)心所に相当する。心を涅槃法に投入せしめる。

(3)正語(sammā-vācā):

涅槃法の覚知を通して、邪語に至る煩悩は断じ除かれる。この様に、出世間八支聖道もまた、正語の一要素が、含まれるものである。

(4)正業(sammā-kammanta):

次に、邪業に至る煩悩もまた断じ除かれる。その意味は、正業支は、ここにおいても生起することができる、という事である。

(5)正命(sammā-ājīva):

邪語と邪業に至る煩悩が、断じ除かれたために、正命支もまた、同時に生起することを意味する。

(6)正精進(sammā-vāyāma):

涅槃法の覚知に尽力する。

心をしてそれに投入せしめ、専念せしめ、専注せしめる。

(7)正念(sammā-sati):

涅槃法に専念し、同時に、その他の要素が、涅槃から離れない様にする。

(8)正定(sammā-samādhi):

涅槃法に専注する。

これが、八支聖道の八項目の要素が、如何にしてvipassanā の第四段階において生起するのか(+という説明である)。

(10-4につづく)

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『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(10-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

観の修習の第四段階における八支聖道

道智と果智が生起する時、それはまた、出世間八支聖道でもあるがーー出世間vipassanā の生起でもある。

世間的vipassanā について言えば、八支聖道の八項目の要素は、世間的所縁を目標に取る:

究極色法、究極名法、またはある種の縁起支、またはそれらの無常・苦・無我の相である。

しかしながら、出世間vipassanā に関して言えば、この八項目の要素は、出世間の涅槃法(Nibbāna-dhamma)を所縁に、取るのである。

涅槃法を所縁に取る時、正語、正業と正命という三項目の戒行の要素もまた、生起する。

すべての八支聖道、すなわち、出世間止(=サマタ)と、出世間vipassanā は、同時に生起するのである。

(10-3につづく)

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『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(10-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第四節 観業処の第四段階

最後の三種の観智

(14)道智(Magga ñāṇa):

この種の智は、一番最初の出世間観智であり、それは涅槃を所縁に、取るものである。

すべての世間的観智は、煩悩を鎮伏するだけであるが、しかし、道智慧ママは、段階を追って、煩悩を断じ除く事ができる:

入流道智は、いくつかの煩悩を断じ除く事ができ、

一来道智は、いくつかの煩悩を弱める事ができ、

不来道智は、いくつかの煩悩を断じ除く事ができ、

阿羅漢道智は、すべての残りの煩悩を余す所なく断じ除く事ができる。

(15)果智(Phala ñāṇa):

この種の道智の結果であり、道智に続いて、その直後に生起した所の、心識刹那である。

これもまた、涅槃を所縁に取る所の、出世間智である。

(16)省察智(Paccavekkhaṇa ñāṇa):

合計五種類の、世間に属する所の、省察智がある。

それらは、道・果智の後において生起し、道智、果智、涅槃、また、すでに断じ除いた所の煩悩と、いまだ残っている所の煩悩を、省察する。

阿羅漢道智の生起するその時においては、残留の煩悩は、存在しない。

最後の、この三種の智は、仏陀が、經の中において言及した所の、vipassanā の第四(+の段階)であり、また最後の段階、でもある:

【[4]彼は無所依(anissito)において住し、また世間の一切に執着しない(na ca kiñci loke upādiyati)。】

(10-2につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>