Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

翻訳『禅修指南』(3‐41)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

《涅槃の三門》

ここにおいて、私は、涅槃に向かう三門について、解説したいと思う。

《大念処経》(Mahāsaṭipaṭṭhāna Sutta)において、仏陀は解説して以下の様に言う、四念処の法門は涅槃へ向かう唯一の道である、と;

しかし、別の方面(+に目を転ずれば)、註釈の中では、涅槃には三つの門があると言う:

色遍(vaṇṇakasiṇa)、不浄観(paṭikūla manasikāra)、無我(suññāta、空)ーーすなわち、四界分別観である。

しかしながら、この三門の区別は、ただ止禅の部分においてのみ言えるのであり、それらの観禅の部分においては、みな同じである。

32身分(+修習)の後、我々は、この三門のどれか一つの門を、修習する事ができる。

それらがみな、我々をして涅槃に到達せしめることができるため、これを涅槃の三門、と言う。

禅修行者が、内・外の、32身分の識別に熟練した後、彼は、この三門のどれか一門を選らんで、修行する事ができる。

先に、私は、32身分の不浄観とは、どの様に修行するのであるかを、解説する。

(3‐42につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

翻訳『禅修指南』(3-40)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

次に、これまでと同じく、目を閉じたまま、禅定の光を運用して、あなたに最も近い人またはその他の衆生を識別する。特に理想的なのはあなたの前方に位置する人が良い。

その人または衆生の32身分、頭髪から始めて尿まで識別し、その後に尿から逆に頭髪までを識別する。

この様に正順と逆順でもって、32の身体部分を、何度も識別する。

この様に修行した後、あなたは、己自身の内在する32身分を一度識別し、その後に外部に存在する他人の32身分を一度識別する。この様に交替で識別して、何度も不断に繰り返す。

この様に、内と外とで識別が出来る様になったならば、あなたの禅修の力は増強される。あなたはこの様に、近くから遠くまで、徐々に識別の範囲を広げていかねばならない。あなたは、自分が遠くの衆生を識別できないかも知れないと、心配する必要はない。第四禅の光の支援の下、あなたは簡単に遠方の衆生を見ることができる。それは肉眼でではなく、慧眼(ñāṇacakkhu)を用いて見ているのである。

あなたは十の方面に対して、識別の範囲を広げていく必要がある。すなわち:上、下、東、西、南、北、東北、東南、西北、西南である。

この十の方角の中にあるもので、識別の対象が人、畜生またはその他の衆生であっても、あなたは内在する32身分を一度識別し、その後に外部の身分を一度識別する。この様に何度も繰り返し修習する。

あなたが二度と、男性、女性、水牛、乳牛またはその他の衆生等の各種の区別・差異を見ることがなくなった時、如何なる時でも、内部であろうが外部であろうが、あなたが見るのはただ32身分の組み合わせに過ぎない。その時、あなたは、初めて、32身分の修法を成就し、熟練し、精通したのだと言える。

(3-41につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

翻訳『禅修指南』(3-39)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

上述の順序に従って、逐一識別する。

まるで鏡を使って己自身の顔を見る様に、はっきりと、身体の各部分の存在を透視して、当該の身分(注9)を確認する。

この様に修行していて、もし、あなたの禅定の光が暗くなった時、識別している最中の、(+その対象である所の)身分(=身体部分)もまた、明晰でなくなる。

この時、あなたは、安般念の修習に戻り、定力を第四禅のレベルまで、上げなければならない。

禅定の光が再度輝いて、強くなった時、また32身分(+の観察)に戻る。

毎回、禅定の光が暗くなった時、あなたは、必ずこの様に、修行しなければならない。

あなたが、頭髪から尿まで、順序良く識別する事ができる様になったならば、又は、尿から頭髪まで逆順で識別する事ができる様になったならば、あなたは、透視の智慧でもって、一つひとつの部分を見ることができる様になる。

それらに精通し、熟練するまで、継続して修行する。

(注9)禅修行者は、己自身の身体の各部分を、実際に、透視できていなければならないのであって、決して、想像を通して修行してはならない。もし、禅修行者が見ている所の身分が己の面前に、まるで写真の様に現れる時、それは己自身が想像したものに過ぎず、32身分を真正に透視したのではない。

32身分を透視できない原因は、通常は、定力の深さが足りないからである。禅修行者は、辛抱強く、再度、充分に深い定力を、育成するべきである。焦り、早飲み込みは禁物であり、拙速の者は、大きな利益を失うであろう。

(3-40につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

 

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E- 6)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳

(P87)

この四種類の究極法について、(+論蔵は)衆生に対して、微細な分析と詳細な解説を行い、一切は、因と縁の条件と四大の仮合であるとした。

最後に、すべての、終極的な目標に関連する方法と細目について、更に詳しい分析と、解釈を行っている。

論蔵には、以下の七部の経典がある:

一、法集論(Dhamma Sangani)。

二、分別論(Vibhanga)。

三、弁宗義論(Katha Vatthu)。

四、人施設論(Puggala Pannatti)。

五、界論(Dhatu Katha)。

六、双論(Yamaka)。

七、発趣論(Patthana)。

三蔵宝典のもう一つ別の分類方法は、仏陀の論説に基づいて、9種類に分けるものである。

一、契經(Sutta)。

二、重頌(Geyya)。

三、記説(Veyyakarana)。

四、偈頌(Gatha)。

五、自説(Udana)。

六、本事(Itivuttaka)。

七、本生(Jataka)。

八、希有法(Abbhutadhamma)。

九、方広(Vedalla)。

(F-1 につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi> 

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

 

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-5)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳

(P86)

 論蔵(アビダンマ):

論蔵・・・ある一人の、思考を好む人間から言えば、論蔵とは、非常に重要で、かつ有意義なものである。

それは、仏教における、すべての高度で深い哲理を含み、經蔵における、深遠な話を、簡易に説明する方式とは、ちょうど強烈な対比となっている。

經蔵の中にみられる問題・課題は、個人または衆生に属するものである。

しかし、論蔵においては、これら伝統的な名目とは異なって、我々が対面するのは、生命の本質を探索する為の名詞、例えば:仮合、名、色などなどである。

經蔵の中において発見されるのは、普通の教養(普法、Vohara Desana)であるが、論蔵の中において発見されるのは、絶対的な教養(対法、Paramattha Desana)である。

論蔵の中においては、一つ一つの事柄に対して、詳細な分析と説明が加えられている。

故に、これは分析の教養(明法、Vibhajja Vada)と呼ばれる。

論蔵は四種類の、生命に関する終極的、究極法(Para-mattha)が含まれるが、それらは:心法(Citta)、心所法(Cetasika)、色法(rūpa)と涅槃法(Nibbana)である。

(E- 6につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

 

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳 

(P85)

經蔵:

經蔵とは、主に、仏陀が色々な場面において述べた所の、教義を収録したものである。

その内、仏陀の弟子、例えば:シャーリープトラ(Sariputta)、アーナンダ(Ananda)とモッガラーナ(Moggallana)などの、弘法の記録も含まれる。

經蔵は、非常に究極的な経典であって、仏陀は仏法を宣揚する為に、これらの教義に対して、色々な、異なった環境と、異なった性格の人々、または異なった理解力の人々にために、善く巧みに解説を加えているものである。

この点は、見たところ矛盾がある様に見えるが、しかし、仏陀が、ある種の特殊な目的を達成するために、機縁に沿って説法をしたのだ、と誤解してはならない。

經蔵は五つの大部に分かれる:

一、長阿含(Digha Nikaya)。

二、中阿含(Majjima Nikaya)。

三、雑阿含(Samyutta Nikaya)。

四、増一阿含(Anguttara Nikaya)。

五、小部阿含(Khuddaka Nikaya)。

小部阿含は、15部の經を収録している:

一、小誦經(Khuddaka Patha)。

二、法句經(Dhammapada)。

三、自説經(Udana)。

四、如是語經(Iti Vuttaka)。

五、經集(Sutta Nipata)。

六、天宮事經(Vimana Vatthu)。

七、餓鬼事經(Peta Vatthu)。

八、長老偈經(Theragatha)。

九、長老尼經(Therigatha)。

十、本生經(Jataka)。

十一、義釈(Niddesa)。

十二、無碍解道(Patisambhidmagga)。

十三、譬喩經(Apadana)。

十四、仏本事經(Buddhavamsa)。

十五、仏行蔵經(Cariya Pataka)。

(E-5につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay

 

 

仏教徒は何を信じるか~釈果道追善供養翻訳(E-3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

仏教徒信仰的是什麼』から抜粋翻訳

(P84)

律蔵:

律蔵は、比丘と比丘尼の生活上の戒・律を記載したものである。

それは、仏陀の教えた戒・律と道徳的な生活の漸進的な進展を記録したものである。

それはまた、仏陀の弘法の生涯をも記録しており、また、間接的に当時の印度の歴史、風俗、習慣、芸術と科学等を記載した、価値ある史料であると言える。

仏陀が証悟して後 20年の内は、どの様な戒・律も制定していない。

後に、サンガが徐々に大きくなって行ったとき、多くの問題が生じた;故に、その時より、仏陀はサンガの戒・律の制定を開始したのである。

律蔵の中で、今日まで保たれているのは以下の五種類である。

一、広分別律一類(重戒、Parajika)。

二、広分別率二類(軽戒、Pacittiya)。

三、大品律(Mahavagga)。

四、小品律(Cullavagga)。

五、付録(Parivara)。

(E-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay