Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

U Puññānanda Sayadaw からのご連絡

(U Puññānanda Sayadaw をお招きしての<東京瞑想法話会><湯布院法話会>

実施要項は、当ブログ《1月16日付》のポスターをご参照下さい)

東京と湯布院で実施されます法話会に関しまして、

本日、U Puññānanda Sayadaw より、以下の連絡がありました。

【予定通り、来日します。

法話会参加者は全員、マスクを着用の事。

中国からの参加者は、来日後、二週間以上の時間が経過している事。

少人数で実施】

東京、湯布院の法話会に参加ご希望の皆様、上記、よろしくご配慮の程、お願いいたします。

  <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

東京瞑想法話会に関する法広比丘尼からのお願い

今、中国がCOVID-19(発生初期、武漢肺炎と呼ばれた伝染病)で大変な状況でありますが、日本は水際作戦が効を発して、今の所、パンデミックが起こる事はなさそうです(医療の素人なので楽観しているだけだったらすみません)。

3月の Ven. U Puññānanda Sayadaw(本雅難陀尊者)の<東京瞑想法話会>ですが、会場の設営等、参加者の人数を把握いたしたく、参加希望者は、3月5日までに、比丘尼に電話の連絡か、メールでの連絡(1月16日、当ブログ掲示ポスターをご参照の事)を入れて頂きたいとの事です(参加希望日を明記願います)。

よろしくお願いいたします。

   <緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

般若の独り言~台湾より帰国

1月24日に福岡国際空港より出国、桃園国際空港から新幹線(高鉄)で、台湾中部の嘉儀に向かいました。

行先は、いつもの法雨道場。

この道場で U シーラ Sayadaw(パオ森林僧院所属)によるリトリートがあり、終了後、Sayadaw が韓国へ向け出国された後を、明徳尊者(メイミョウで修行中、現在一時帰国中)がひきついで、一時出家の儀式(成人男性2名、中学生1名、小学六年生1名、初老の主婦1名)、アビダンマの解説、市場での托鉢などが、30日まで続きました。

私はパオセヤドーの著書を色々翻訳(中→日)しましたので、アビダンマはある程度知っているつもりでしたが、明徳尊者の理路整然たる説明を聞いて(時間が足りなくて、ものすごい早口だった事もあり)、

「う~ん、難しい。一生勉強だぁ」

と唸った次第・・・

他の方々も、アビダンマってこんなに難しいものなのか?!と、仰天していました。

アビダンマは、仏陀智慧の結晶ですから、内容は最高に正しく、法則的にも美しいものですが、理解するのも難しいですし、実践するとなると・・・如来の弟子の修行は、河を遡るがごとし、と言われる所以です。

31日、リトリートの終了後、新幹線と地下鉄を乗り継いて、北投に出て<旅舎>に泊まりました・・・英語でホステルですね。

ここ、本来は若者向けの宿泊施設なのですが、清潔で安価、旅行好きの中年、老年にも好評です。

宿の北側が新北投で、温泉に入れます(以前は歓楽街だったそうですが、陳水扁総統が整備して、今の雰囲気は、黒川温泉に似ていると思いました)。

ここにある原住民博物館に入ってみましたが、展示物が少なく、少しがっかり(台湾では、少数民族を原住民と呼びます。この呼び名に、差別的な意味合いは含まれません)。

で、受付で、体温計でしっかり熱を測られまして・・・。

リトリート終了後に乗った台北行き新幹線から始まって、車中の人々、町の人々は皆マスク姿・・・マスクはどこも売り切れ、ちょっと不気味でした。

COVID-19(発生初期、武漢肺炎と呼ばれた伝染病)が、一日も早く終焉します様にと、願うばかりです。

<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

般若の独り言~清凉心

もう随分前の事ですが、日本の映画館で【清凉寺】という題の映画を見たことがあります。

主演は栗原小巻、わき役に多くの中国人が配されていました。これは中国が作成した映画で、内容は、旧満州(中国人は東北地方と呼ぶ)に移住していた日本人女性(栗原小巻)が、日本の敗戦の為に母国へ引き上げる途中、まだ幼い子供(乳幼児)を満州においてこざるを得なくなった、その前後のストーリー。

私はその時、映画の内容より【清凉寺】という映画の題が、大いに気になりました。

中国のお寺は臨済宗が多く、その臨済宗のお寺の名前に【清凉】とつくのはどういう事であろうか?と疑問に思ったのです。

最近、少しばかり分かった事があります。

中国の禅宗で【清凉】というは、テーラワーダ・アビダンマでいう【中捨】(聖なる無関心)の事ですね。

テーラワーダでは、ゴータマ仏陀の教えた、40の業処の一つを選んで修行する・・・私なら安般念(出入息念)ですが、それを長年実践していると、心は次第に、外部に漂い出る事が少なくなります。

そうして、この辺りまで修行が出来てきた場合、日常生活で、何らかのトラブルに巻き込まれた時に、心は中捨を保つことができる様になりますが、それが清凉(心)でもある、という訳です。

最近、タイの僧侶から聞いたのですが、ご自分のお寺では

《嫉妬心をなくす事が、修行の大きな目標として掲げられている》との事。

心を大きく汚すものの内、嫉妬心は非常に強烈ですから、これを制御して中捨する事が出来れば、心は清凉を得て、修行は次の段階に進むことができる、という訳です。

中捨と清凉心が同じものであれば、テーラワーダと大乗は、底では繋がっている事になり、この様であれば、緬甸のパオ森林僧院に、なぜ、大勢の中国人や台湾人がひきも切らずに修行に来るのか、も理解する事ができます・・・と言いますのも、パオSayadaw が復活させ、教導する《いにしえの仏道》は、戒より始めて、中捨へと進み、最後に涅槃を体験する様、明確な段階的メソッドになっているからです。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

般若の独り言~お布施ご報告

Kさま、お布施届きました。

3月に開催されます U Puññānanda Sayādaw の法話会を始め、今後のダンマの活動に、活用させて頂きます。

私が毎日の水中運動で出会う友人に、Aさんがいます。

Aさんはよく「自分が檀家として属しているお寺の若い住職さんが、説法が出来なくて困る」とぼやきます。

私たちはなぜ生まれて来て、なぜここにいるのでしょうか?

自分はどこから来て、どこへ行くのでしょうか?

世界はありのままに、目でみた通りに、脳で考えた通りに、存在しているのでしょうか?

ゴータマ仏陀の教えた<無常・苦・無我>とは何でしょうか?

これらの大疑団を、お寺に生まれたからという理由でお寺を継いだ若い人が、佛教大学に進学したら解決できた、などとはとても思えません。

水中運動で出会う老人たちも話題は

「寿命を延ばすにはどうしたらいいか」ばかりで、

「長生きしたとして、一体、己の中の何がどうなるのか?」

という【そもそも論(業や往生の問題)】を話す人は皆無です(もっとも、こういう事に関心を持つと『厨二病』と言われる為、日本では、大人の話題として、相応しくないのかも知れません。)

野山を削り、工業を発展させて、結果、経済は高度に成長し、生活は楽になり便利にもなりましたが、己への<大疑団>を持たない人間には、<存在の本質>を解き明かすチャンスは到来しない、という事が明白になった昨今です。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

 

 

湯布院法話会参加ご希望の皆様へ

U Puññānanda Sayadaw をお招きしての

湯布院法話会は 3月21、22、23日に、開催されます。

1月16日のブログに掲載しましたポスターにもあります様に、参加希望者は

(1)氏名(姓のみも可)

(2)住所(県名のみも可)

(3)年齢(20代、30代等、だいたいで結構です)

(4)性別(男女で座席を分ける事があります)

を明記の上、<wongegg@hotmail.co.jp>までご送付下さい。頂きました個人情報は、会場の設営に使わせて頂きます。

なお、1月23日~2月4日、担当者は台湾にてリトリートの為、メールのお返事が出来ません(2月5日以降、追って返信します)。あしからずご了承下さい。

<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>