Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2016-05-09から1日間の記事一覧

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー92/92

縁起とは、どのように実践するものなのか? 唯一の答えは、外境と接触する時、(接触を)明らかに 知るべきであって、正念を失うことなく、無明が生じない ようにし、無明を、苦受となる行、識、名色と六入にまで 発展させないようにする事。 常に本来の状態…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー91/92

覚えておいて欲しい! もし、触が非常に強烈である時、(人に)吃驚するような 感覚が生じる。我々が、ある物を見たり、ある事柄を聞い たりする時、または何かの事件を見た時、吃驚したり、 身の毛がよだつような感じがする場合、それは、触が 非常に強烈で…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー90/92

あなたは、この一連の(現象の)どこかで、(現象を)止める 事ができるだろうか? できないであろう。 それぞれのステップは、皆、お互いに緊密に密接しており、 他の何物かをさしはさむ余地は、ない。 これが「縁」の意味である。 縁起とは、お互いに依存…

ブッダダーサ「生活の中の縁起」(翻訳文)ー89/92

結論~~ 縁起について、我々は、このように言う事が出来る。 1、六根が六境に接触して、縁起の流転または還滅が 生じる時、世間、世間の初因、世間の滅尽及び世間の 滅尽に向かう道、そのすべてが発生する。 これらすべては、この、イキイキとした六尺の体…

ブッダダーサ「生活の中の縁起」(翻訳文)ー88/92

仏陀は、苦は、無明、行、識、名色等からきており、それは、 信の拠り所である、と言った。 言い換えれば、我々は、傷心する必要などなく、怖れる事なく、 退却する事なく、もし、我々が縁起をよりよく利用するならば、 苦は、信の礎となり、信は仏法を育成…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー87/92

もし、有漏がことごとく取り除かれたならば、智見が生じ、 心が無漏の中にある事を照見する(事が出来る)。 解脱が出現する時、有漏をば、ことごとく取り除く智見が 出現する。 滅尽智の出現は、離貪が原因であるが、離貪は、厭離に よって発生する。厭離は…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー86/92

縁起の輻射輪~~~~ 縁起の中の縁起~~ <〇無明→行→識→名色→六入→触→受→愛(渇愛)→取→ 有→生→老死→<苦>→信→悦→喜→軽安→楽→サマーディ→ 如実知見→厭離→離貪→解脱→滅尽智→涅槃〇> (ヒキガエルの頭の上の宝石、〇を発見できた人は自在である) 修行の…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー85/92

所謂「行の増長」とは、縁起における<行>は、身、口、意 の作用を誘発し、それをして、更に強烈化、広範囲に及ぶよう にするものである。 パーリ語でいう「行の増長」とは、美食を咀嚼している時、 行は迅速に増長し、かつ、新しい有と生を引き起こすーー …

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー84/92

上記(No83)は、縁起の意義における識の説明であった。 行が引き起こす識は、結生識ではない。しかし、ただ日常用語 しか知らず、かつ自我、主体があって、それが三世で輪廻して いると思っている人が、識をば、結生識であると、改竄した のである。 私はこ…

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー83

パーリ経典には、更に複雑で錯綜している記述がある: 「名色の投入(=身心の状況への対応、変化)がある所、 (この場合は、一口の食物を咀嚼する間)、そこには、 行の増長がある」。 それは、行の造作力が、一回また一回と生じ続け、ますます 強烈になり…