2016-08-20から1日間の記事一覧
[散若耶毘羅提子ーーいかなる事物も、みな 定義することはできない] 散若耶毘羅提子(Sañjaya Velaṭṭhaputa) の宣揚した学説は、下記の原則を有していた。 いかなる事物も定義されることはできない。 また、いかなる名前で呼ぶこともできない。 というのも…
この種の観点は、仏教とは異なる・・・両者 ともに、同じく元素に言及し、それを主題に してはいるが。 仏教は、人々が、それ(=元素論)を 基礎にして、お互いに(+お互いを)尊重 するべきだという道徳的行為を受け入れる。 少なくとも(+人々に)執着…
[波拘陀迦旃延ーー行為とは、ただ元素による プラスの、またはマイナスの方向への 転換にすぎない] 波拘陀迦旃延(Pakudha Kaccāyana)が 宣揚した学説は以下の通り: いわゆる生命とは、ただ地、水、火、風、 楽、苦と生命力などの 7 種類の成分の 組み合わ…
この種の観点は、一切の事物を否定し、 かつ、今世であろうが、来世であろうが、 いかなる事物も真実であるものはなく、 この世界事自体も存在しない、ただ元素 が反復して結合し、分離しているだけだ と宣揚する。 この種の学説は、その信者にとっては、 気…
[阿耆多翅舎欽婆羅ーーいかなる事物も 存在しない] 阿耆多翅舎欽婆羅(Ajita Kesakambala) は、一切の事物の原理を否定している (この観点は、今日における虚無主義に 相当する)。すなわち: いかなるものも、完全に、存在しては いない。 人々が感受を受…
イケダハヤトが「まだ東京で消耗して いるの!?」という挑発的な言葉を 残して四国に引っ越した事は、情報弱者 のおばぁさんである私でも、知っている。 私自身は、イケダハヤトはちょっと なじめないけど(ちょっとばかり、 イケイケ・ドンドンすぎる感じ…
我々は、仏法でいう涅槃は、すべての人々が、 最後には到達したいと願う究極的な目的で あると信じるが、一つ例外がある--我々は、 因縁を創造することができ、この人生か、 または次の生で涅槃を証悟することが できると思っている;また、我々は、因縁を…