2017-01-09から1日間の記事一覧
彼は随観(anupassati)・・・:彼は禅智によって、作意を保持し、入息と出息の身(=全体)または禅相について、それを見ることを安定的に持続させ、かつ、観智でもって(作意を保持し、安定的かつ持続的に)色身と名身を見ること。 これが、なぜ「身を身と…
しかし、それ(身)は念ではない: 身(=息全体)は、「打ち建てられる」とは言われるが、しかし、それを「念」とは呼ばない。身は念の目標であるが、しかし、それは正念を保持するための作為ではない。 念は打ち建てられる(処)であり、同時に念の両者で…
経典の中では通常、ある程度の、高度な定力を ”禅定” と呼んでいる。 禅定とはすなわち、心が高度な専注の状態にあることを言う。 人が、もし禅定の境地に到達することができたならば、その心は、極度の喜悦、楽しさ、安寧と殊勝な状態を、非常に長い時間、…
もう 40 年以上前になりますが、台湾で釈従信比丘の 大乗仏教批判の書「阿含正見」に出会って、夢中になって読んだ事があります。 彼に手紙を出した所、自著を次々と、送ってきてくださいました。 その中に「37菩提分」というのがあり、よく「身苦心不苦」と…