Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2017-06-25から1日間の記事一覧

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-36

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 少しばかりの覚知(=自覚)があれば、我々は、我々の心内の評論は「私」や「私の」を巡ってグルグル回っていることが分かる。 我々は、己自身について、煩わしさを感じるようになり、この内心のラジオを止めて、…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-62

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ここにおいて、上に述べた軽安、定と捨という、この三種類の覚支を育成するに有益な数々の方法に関して、それらはそれぞれの覚支の栄養(または因)であることを、理解しなければならない。 仏陀は言う: 「比丘…

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-61

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-6-5 心がコントロールされるべき時にコントロールされる 人は、どのようにして、その心がコントロールされるべき時にコントロールされるか? 心が、あまりにも強すぎる恐怖心と喜悦で動揺する時、彼は択法、精…

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-35

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 上記の経文から、我々は定の修習において、脳内に起伏する思いや考えは、粗いものから微細なものへと、変化することが分かる。 最初の段階では、非常に粗い煩悩があり、それらは身業や口業の方面で、表現されるこ…