Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

2017-08-19から1日間の記事一覧

是誰庵のひとやすみ~「掌中の葉」が続きます

何日か前の<是誰庵のひとやすみ>でお知らせ致しました通り、年末までに「掌中の葉」の翻訳を終わらせたいので、暫くは「掌中の葉」ばかりが続きます(翻訳は割と順調に進んでいて、10月くらいで完了するかも、です)。 パオ・セヤドーの「顕正法蔵」を楽し…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二)覚と瞋 この両者は相似ている。 双方とも、所縁に対して、不滋潤(=潤わない事、増長しない事)で、不執着であるという現象を顕す。 覚行者は、善法の中において、所縁に対し、不滋潤であり、不執着である…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この時、ヴァッカリは、純粋な信心と、貪念の雑染した信念の違いを、理解した。 彼は、勇敢にも、仏陀への執着を放下し、その為、油然として、堅固で移ろわない、清かな信心が生じた。この偈を聞き終えた後即刻、…

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 性行の同分(=共通、同等)と区分 この六種類の性行において、信行者と貪行者は同分、覚行者と瞋行者は同分、尋行者と痴行者は同分である。 《清浄道論・第三章・第75、76、77段》 性行(性格と行い)の同分と区…