Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

2017-10-12から1日間の記事一覧

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-111

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 初禅から出て来て後、あなたが、正念と正知でもって、禅支を観察する時、尋と伺は、粗くて劣っているように思えるし、喜、楽及び一境性は、寂静であると、思える。 粗くて劣っている禅支を取り除いて、寂静なる禅…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-110

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-9 第二禅 色々な経典に書かれている所の、第二禅に関する描写は、以下の通り: 「尋と伺を止息させた後、比丘は自信と定心の伴った、無尋と無伺の、定によって生じた所の、喜と楽が充満した、第二禅に入る。」…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-109

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> あなたが完全に、心の中のそれらの、定の障礙になる所の不善法を、清らかにした後、再度入禅するならば、あなたはその日一日中、ジャーナに安住することができるであろう。 それはちょうど、蜜蜂が、完全に清浄な…

「身念処」1-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> a)の例では、経典には、怒ってはいけない、と書いてある。仏陀は、我々に、瞋恚と恨みを止めるように、教えている。 仏陀は言う:「己自身の心を傷つけてはいけない」。 というのも、瞋恚や恨みは、己自身を傷つ…

「身念処」1-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これが、真正なる仏法である。 シッダッタ王子は、己自身の努力によって、この智慧ーーすなわち、四聖諦を発見した。 誰もそれを、彼に教える者はいなかった為、彼は「大阿羅漢ーー無上正等正覚」(「悟不由他的…

「身念処」1-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> b)涅槃もまた実相であるが、しかし、五蘊に属さないーーまた「世間」にも属さない。 仏陀は言う:衆生にとって、「世間」とはすなわち、五蘊の事である。というのも、我々は全員、五蘊を通して、一つひとつの事…

「身念処」1-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五蘊または心・身は、苦(苦諦)である。(「sacca」とは「真諦」の意。故に「dukkha-sacca」は苦諦ーー第一聖諦である)。 五蘊は真正なる苦諦で、苦因の果であるが、苦の因は渇愛で、それは第二聖諦の如くに、…

「身念処」1-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> a)一人ひとりは、四法の中の三法(心王ーー心所ーー色法)を具足している。または、この四法を、心と身体(名と色)に要約する事ができる。 または、それらを五つの細かい部分、五蘊:色、受、想、行、識に分け…