Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

2017-11-12から1日間の記事一覧

「身念処」1-61

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> d)Yonisomanasikara または「如理作意(yoniso)」の意味はすなわち、「個人の注意力を、ある事柄に集中させ、正しい理解をもって、それの因を知る事。」である。 これもまた、ある事柄の実相である。 (1-6-1節…

「身念処」1-60

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-7 精進ー正念ー正知、如理作意と観察力 定義: a)Atapi の意味はすなわち、「精進」。 b)Sati の意味はすなわち、「正念」。 二種類の正念がある(すべての正念は、善法であるが、日常生活における「注意力の…

「身念処」1-59

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 問:<今・ここ>を観照する三心と、<今・ここ>を把握する三心は、同じものですか? 答:双方共<今・ここ>という呼び名ですが、しかし、<今・ここ>を観照する三心(思慧)と、<今・ここ>を把握する三心(…

是誰庵のひとやすみ~仏に会っては

心が清らかなでなければ、超能力(神通力)を擁する事はできない。 しかし、超能力を擁するからと言って、その人の心が清いとは限らない。 心が清らかでなければ、禅定に入る事はできない。 しかし、禅定に入れるからと言って、その人の心が清いとは限らない…

「身念処」1-58(50/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <今・ここ>を保持する為には、正念正知でもって身・心を観照しなければならない; 心に煩悩が無い時にのみ、(図1-3)にある所の、前三個(=色法、心所、心王)の所縁を、見ることができる。 身・心を所縁と…