Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-02-08から1日間の記事一覧

「身念処」4-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 冷淡さ(捨)は、中道ではない。 ある種の人々は、己の心をして、愛も憎悪もないようにしたいと思っているが、それは間違いである。 このようにすると、「捨念」が生起する; 一切の法は無我(コントロールできな…

「身念処」4-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 4-1 総論 Vipassana修法は、七清浄、16階智、三解脱門(涅槃へと導く方式)、四念処など等を含む。ただし、上記の中で、真正に身念処に関連するのはーー特に四つの主要な姿勢と二次的な姿勢である。 その他の念処…

「身念処」4-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第四章 総論 「ゴータマ大師、 何の因によりて、何の縁によりて; なぜ、如来が滅度した後、聖教は常に存する事ができないのか? また、ゴータマ大師、 何の因によりて、何の縁によりて; 如来が滅度した後、聖教…

「身念処」3-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 16、思惟反射智 この智においては、修行者は、前のレベルにおける幾つかの智の、体験・証悟した所の、己自身に関する五つの事柄について、思惟する; 1)道智(第14階智)(この道より来た)。 2)果智(第…

「身念処」3-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 15、果智 七清浄の中、この智は、智見清浄と呼ばれる。道心(道識)は、その一つ前の智(第14階智)において生起するが、それは涅槃を所縁とし、かつ、完全に惑を断じているーーその後、この智の内において、果心…

「身念処」3-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 14、道智(智見清浄) この智は、道心の中に生ずる。道心は、種姓智(第13階智)を助縁とし、第13階智と同様に、この智は、涅槃を所縁としている。しかし、この智は、完全に惑を断じており、また、心と所縁は、…

「身念処」3-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 13、種姓智(行道智見清浄) この智は、道智(第14階智)に向かう道刹那によって誘発される所の智慧であり、また、この智の、前の段階の、その他の階智と異なる所は、この智は、涅槃を所縁としている事(出世間…

「身念処」3-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 12、随順智 この智は、一個の完全な智慧である為、修行者をして、四聖諦を体験・証悟せしめる事ができる。 この智は、前の段階のいくつかの階智によって誘発され、生起するもので、この階智における、勇猛な智慧…

是誰庵のひとやすみ~「身念処」が終わったら

アチャン・ネン著『身念処』の翻訳が、佳境に入りました。16階智の説明が分かり易くて、非常に良い。 翻訳のし甲斐があります。 <付録/質疑応答篇>(P141~)は、内容が重複しているので、一部割愛するとして、後一週間程で完成でしようか。 これで、心置…

「身念処」3-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 11、行捨智 この智は、身・心(身・心の行)への冷淡さを誘発し、二度と再び、身・心に対する執着と貪恋を生じる事がないーー身・心は、長期に及んで、我々が「私」「私のもの」「私自身」として執着して来たモ…

「身念処」3-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hot> 10、審察随観智 此れより前の、いくつかの観智において、畏怖が生じる事によって過患を知り、厭離が生じ、それによって、身・心から解脱して、脱出したいという欲が誘発された。 この智は、身・心の解脱を欲する…

「身念処」3-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8、厭離随観智 一つひとつの階智(+を昇る時、そ)の階智毎に、智慧はますます強くなる。 この智において、身・心(五蘊)に対する厭離の感覚が生じる。 この事は、先の階智において、身・心の禍を観察した結果…