2018-05-20から1日間の記事一覧
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 業の定法:造られた業が、その善・悪に従って、相応する果報を齎すのを保証する(+のが、すなわち、業の定法である)。 たとえば、種は必ず、その種類に応じて、実を結ぶようなものである。 我々が、手に持つボ…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 13 業縁(Kammapaccayo) 業縁には二種類ある。すなわち: 異刹那業縁(nānākkhaṇika-kammapaccayo); 俱生業縁(sahajāta-kamma-paccayo)。 業:パーリ語「kamma」の意味は、「作為」であり、善または不善の思…
今朝、『24縁発趣論』の<No12-5>を翻訳していましたら、『世間八風』という言葉が出てきました。 中国では、これを<八風吹不動>といい、そのココロは、仏教者なら、世間の八つの風に吹かれても、動揺するべからず・・・です。 世間の風とは、 得・失、 …
昨日、庭に出て、雑草引きをしていた所、可愛い小鳥の鳴き声が・・・。 目で追うと、小鳥は、私が以前、もみじの枝に掛けておいた巣箱の中に。 胸にネクタイをしていたので、シジュウカラのように思います。 もしかして、若いシジュウカラが、巣立ちの後に使…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ある種の人々は、仏法を学ぶや否や、出家したいと思う。 何故であるか? それは、過去の生(=過去世)の多くにおいて、出家していた(+体験に基づく)、数々修習縁の故である。 この縁があるが故に、この世では…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 人の性格は、一回、また一回と、(+心のクセを)不断に、重複して積み重ねていく事によって、塑性される。 性格の種類は、以下の六種類に、分けることができる; 貪行者、瞋行者、痴行者、覚行者または智慧行者…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五門心路の内の確定、または、意門心路の内の、意門転向と速行の間には、数々修習縁はない。 というのも、確定または意門転向と速行は、同一の種類の心ではないが故に; 最初の速行から第七番目の速行までには、…