Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

2018-06-06から1日間の記事一覧

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 未だ与えられていないものを取るのを「不与取(adinnādāna)」という。 すなわち、他人のものを取る、盗賊的行為、盗む、などを言う。 「不与」とは、他人が持っている【擁している】ものという意味であり、他人…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 加行【努力】が大きいが故に; 加行が同等の場合、対象が大きい事によって(大罪)となる。 有徳の人類等にとって、微徳の生物の殺害は、小罪であり; 大徳行の生物に対しては、大罪となる。 身体と徳行が同等で…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 先に業縁の定義をする。 業には二種類ある: 「異刹那業縁」と 「俱生業縁」(注5) である。 もし、すべての思心所を業と呼ぶならば、思心所及び、その思心所に相応して生起する所の、心、心所、及び心生色法な…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 善業と悪業とは、善業または悪業を造作する時の、「思心所」を指すものである。 というのも、この思心所は、果報を成熟させるからであるが、それはすなわち、皆様がよくご存知の「応報を得る事」である。 思心所…

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第一章 第七講 業縁と果報縁(その一) 業縁と果報縁 Kammapaccayo ti Kusalā kuslaṃ kammaṃ vipākānaṃ khandhānañca Katattāca rūpānaṃ kammapaccayena paccayo// 善また悪の因によって形成された果報名蘊、及び…

「テーラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」3-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《中部註》ーー《破除迷障》(Papañcasūdanī) 生物を殺害する事は、「殺生」(pāṇātipāta)である。 それはすなわち、生物を殺戮、殺害する事を言う。 「生物」とは、通俗的には、有情の事を言う; 勝義(=最も…