Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

2018-07-18から1日間の記事一覧

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-19

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 受蘊に関しては、それらは、それら自身の領域に存在しており、それらは、物質的身体の一部分ではない。 身体と同様に、それらは感受ではなく、身体の疼痛の中において、それが直接作用する事はない。 この二つの…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-18

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 故に、疼痛が身体において生起した時、我々はそれはただの感受であり、その他の何物でもない事を理解しなければならない。 自我の観点からそれを定義してはならず、己自身の身体に発生してもいない事柄を仮設して…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-17(20/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <疼痛感とはただ感受の程度が不断に波動し揺らぐ自然現象に過ぎない> 我々がそれを、己個人が背負い込み、己自身の負担にしないならば、それは心にとって、特別な意味を持たない。 疼痛自体、その本質は、何等…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今回の経験は、動揺する事のない、証悟による確信を齎し、私は、心内における堅実な修行の基礎を強化した。 私は、疼痛と戦う基礎的な道理についての覚醒を得た: 疼痛、身体と心の全体は、それぞれが、明確に分…