Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-07-19から1日間の記事一覧

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-22

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 心が、この顕著な特徴に、深々と覚醒した時、疼痛は徐々に消失する。 同時に、我々は、疼痛の体験及び、それに執着する所の ”私”、その両者の根本的な関係性に対して、覚醒する事となる。 この関係は、心の内部に…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-21

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 例を挙げてみよう。 膝頭または筋肉に怪我をしても、膝頭または筋肉はただ骨、靭帯と肉に過ぎず、それらは疼痛自体ではない。 両者は共にあるけれども、それらはただ各々の特性を、保持しているだけである。 心は…

般若の独り言~コーチはタイの一休さん?

タイ・チェンライの洞窟に閉じ込められた少年12人とコーチの全員が救出されたのは、本当に喜ばしいことでした(犠牲になったクナンさんに哀悼の意を表します)。 先ほど、IT 上で、彼らの会見の様子を見ました。 サッカーボールを蹴りながら登場して、健康を…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-20

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <仏世尊は我々に教えられた> 仏世尊の教えられた、観察の目的とは何か? すべての疼痛は、生起して、非常に短い時間留まって後、滅し去るという現象を、よく見る様にと教えたのである。 その中に分け入って、干…