Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

2018-07-23から1日間の記事一覧

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-48(50/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <心の観察の終り> このレベルに到達すると、心は永遠に、生と有を切断し、徹底的に、一切の無明と貪愛の顕現を、切断する。 ”無明の縁によりて行あり”ーー根本的な無知が、有為の生起を形成するーーそのような…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-47

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> それの本性が、はっきりと、明確に知られるまで、鋭利で、直接的な智慧によって観察すれば、この現象は、完全に予期していなかった方式でもって分解され、崩壊する。 この時の開悟は、”菩提樹下の証悟” または ”…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-46

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一切の世間的真実ーーどれ程に精緻で、またはどれ程光明で、宏く偉大に見えてもーそれは不可避的に、一種の、不規則的な兆候を、顕現する。 これら(+の存在)は、心をして、注意を向けさせしめ、回答を探し求め…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-45

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 真正なる無明は、我々の想像しているものと、非常に異なる。 故に、あなたが無明に遭遇する時、それが無明である事が分からない。 そして、あなたの修行は、そこで行き詰まってしまう。 もし、指導者がいて、あな…

般若の独り言~手抜きヤムウンセン

昨日は、タイの名物料理<ソムタム>を作りました。 パパイヤの青い実が手に入らないので、その代替えとして、ニンジンを使いました(キュウリでもOKです)。 今日は<ヤム・ウンセン>に挑戦です、ただし手抜きの、です。 昨日のソムタムの材料から、ニン…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-44

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この種の憂慮が齎す負担を解除するため、また、この問題に関する円満な回答を得るために、あなたは、己自身に問うべきだ: この光明は一体何なのか? あなたの注意力を、あなたがよく理解できるまで、この上に専…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-43

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この光明は、各種の煩悩が聚集して形成されたものであり、明晰・明確に認知される光明点である。 それはひとつの、非常に精緻・繊細な光明であって、心の内の特定の一点に集合する。 ひとつの、相応する所の、精…

『阿羅漢向・阿羅漢果』1-42(45/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今、心は、繰り返し、かつ不断に、休むことなく諸蘊を観察する時、それは純粋に、成熟してくる。 智慧によって、思惟を分別する事を通して、我々はまず、色蘊を捨棄することができる。 初期段階での観察において…