Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

2018-07-25から1日間の記事一覧

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 世俗的な角度から言うと、私はまさに勝ち残った英雄の如くに、法を開示しているが、しかし、実際は、私の心中における、至高で無上の法には、勇敢とか、畏怖とかというものは、存在しない。 それらには得も失もな…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-12★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 徹底的に清浄なる心と比較するに、この世界は、一つの大きなゴミ箱であって、そこには、色々な異なったレベルのゴミが、放り込まれているのだ、と言える。 最高度の略聞即知者から、最低の、最も普遍的な文句為最…

般若の独り言~翻訳と修行の話

今翻訳している『阿羅漢向・阿羅漢果』は、残すところ10ページ、後三日ほどで、終了します。 次に Ledi sayadawの『Vipassanaハンドブック』を、翻訳します。 全部で85ページほどで、あまり時間はかからないと思います。 これが最後の翻訳になるかも知れませ…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-11★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> この時、私の心中に、予期せぬ失望が、沸き起こった。 私は思った: ”私はどうして、この法を他人に教え、指導する事ができるのか? 指導したとて、一体、どのような意義・意味があるのか? 真正なる法は、このよ…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 次に、私は注意力を、私の過去生に転じて、視てみる事にした。 単純に、私がかつて、何度も生まれ、何度も死んでいると思うだけでも、恐ろしく感じるのに、私は多くの生において、地獄にいた事があり、多くの生に…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <地獄の火より熱いものはない> 通常、五種類の最も重い罪があって、それは五つの地獄の火と相応する、と言われる。 その五種類の罪とは: 母親殺し、父親殺し、阿羅漢殺し、仏身から血を流させる事、サンガの和…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-8★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その時、私の全身は、震えた。 この出来事を説明するのは、非常に難しい。 一切は、同時に発生した: 天が崩れ落ちて、世界は消失した。 その後に、私は絶え間なく繰り返した: ”何が起こった? 仏世尊も、この様…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-7★

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 無明が、心から反転して転げ落ちる時、虚空は崩れ去り、宇宙全体は歪み、炸裂し、崩壊した。 現実的には、無明が我々をして、不断に輪廻世界に流転させるのであるが、それゆえに、無明が心の内から分離されて、消…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 突然、これらの異なる状態ーー闇、光、楽と苦ーーが、すべて無我であると領悟した時、心は徹底的に、静止した。 明確に、<一切皆無我>の結論に、到達したのである。 それは二度と手品をする余地は、なくなった…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-5(60/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 世俗諦のレベルでいうと、この状態は、必要不可欠な一部分でもある。 というのも、その他の、観察を必要とするものがない為、大念住と大智慧は、変化を生じている<点>に、直接、専注するからである。 この一瞬…