Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

2018-07-26から1日間の記事一覧

『阿羅漢向・阿羅漢果』4-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 現象の生・滅を、認知することの出来るのは、識(viññaṇa)である。 たとえば、識は、(+以下のものを)認知すると同時に、色、声(音)、香、味、触が、目、耳、鼻、舌、身体に接触した時に生じる影像・イメー…

『阿羅漢向・阿羅漢果』4-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 付録:心ーー意識の知るという根本的特性 以下は、アチャン・マハー・ブーワの、幾つかの異なる開示の中から採録した所の、心の特性に関する評論である。 <最も重要なのは心である> 意識の、知る、という根本的…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏世尊の法は、この世間から、滅し去ったのか? 仏世尊の法は、その崇高な地位を、失ってしまったのか? あれら修行者たちーー仏陀の教法に従って、その結果、証悟した人たちは、虚妄の神、または人々の敵と、見…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 私が最近流した涙は、仏世尊と同じことを伝えている。 あなた方は、引き続きこれから先も、己自身の錯誤に気が付かないのであれば、一体どうなると思うか? あなた方の心智は、酒鬼より劣っているというのだろう…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> アチャン・マハー・ブーワは、これまで動揺した事がない。 世界中の人間が吠えたとしても、私は私の心内の言葉を語るし、(+彼らからの)影響を、受けることはない。 法の清浄なる本性は、世間の一切によって、…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> タイの仏教徒の態度は、非常に悪い。 私が一言何か言えば、全国各地の人々は、何事かを吠えはじめる。 可哀そうではある! 私は、あなた方に憐憫する。 これは、仏世尊が、世間がなぜこれほどまでに、無知である…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-5(75/100)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> あなた方の中に、至高で無上なる法を見ようとして、チャレンジした事のある人はいるのか? それとも、あなた方全員は、盲目的に座り、目をきつく閉じて、大きな口を開けて、法に対して、野獣のような叫び声を上げ…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五蘊は阿羅漢ではなく:阿羅漢は五蘊ではない。 五蘊は絶対的に、かつ一つの例外もなく、ただの世間的真実に過ぎない。 それに反して、清浄なる本性は、すでに完全にーー100%ーー世間的真実の、すべての痕跡から…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> その結果、阿羅漢の、純粋で清浄なる心は、我々が知っている所の、通常の、汚れていて、不浄なる人体と比較する事は、できなくなる。 一人の人間が、己自ら、この真相を見たならば、たとえ、彼の目の前に仏がいた…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> もう一つ、別の面について: 同一の時間において、共鳴と、強烈な生理的反応が生じて、身体が震える。 この震えは、故意であろうか? 違うのである。 それは、法が、煩悩を一撃に絶命しようとしていて、それに対…

『阿羅漢向・阿羅漢果』3-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 阿羅漢の証し:阿羅漢はなぜ泣くのか? アチャン・マハー・ブーワ尊者2002年6月17日の開示 <私は>非常に正直にあなた方に言う: 私はすでに、二度と再び、過去も、現在も、未来も、経験しない。 というのも、私…

『阿羅漢向・阿羅漢果』2-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> あれら、獰猛で牙をむき出しにして、己が勝者だと喧伝するものは、例外なくみな、敗者である。 その中に、正しい人間などいない。 というのも、喧嘩そのものが、すでに誤りなのであるから。 たとえば、二人のボク…