Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2018-11-18から1日間の記事一覧

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-61)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注31> パオ・セヤドーは、ある種の人々が、vipassanā の修習をする時、色法を観照しなくてもよいのだ、と主張している点について、度々言及している。 仏陀は《大牧牛者経》(Mahāgopālaka Sutta)の中におい…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-60)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 唯一の道=一つの門 仏陀の述べた ”ekāyano maggo” は直訳すると ”一筋の道” となる。我々はまた、それを ”唯一の道” と意訳する事ができる。 アーナンダ尊者が言った ”ekadvāraṃ” は、”一つの門” と訳するが、我…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-59)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 比丘たちよ、これは唯一の道である 我々は今、仏陀が《大念処経》のおいて述べた所の、非常に分かりやすい話を、更に容易に理解できる(+様になった)。 【比丘たちよ。 これは唯一の道である(ekāyano ayaṃ、bh…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-58)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P 38) 当該の経の中において、仏陀は、以下の様に解説する: ”比丘たちよ。 何に対して証知しない、遍知しない、離棄しない、捨断しない者は、苦を滅尽することができないのか? 比丘たちよ。 眼に対して…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-57)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀が述べる所の、証知しなければならない一切、遍知しなければならない一切、捨断しなければならない一切とは、何を指しているのか? 彼は解説する: ●六内処(ajjhattikāyatana):眼、耳、鼻、舌、身と意処。…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-56)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <注26> 仏陀は《獲得經》(Paṭilābba Sutta)の中において、 以下の様に言う: ”比丘たちよ。 四念処は念の獲得と関連がある。 比丘たちよ。 これを念根と言う。” 《無礙解道・念処論》(Satipaṭṭhānakathā)の…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-55)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 四念処=五蘊=一切 では、四念処とは何か? それらは、念を建立せしめる所の、四種類の観照(注26)の対象である: 身(kāya)、 受(vedanā)、 心(citta)、 法(dhamma)。 我々はすでに、四念処が vipassan…

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(3-54)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 前に述べた様に、仏陀は《転法輪経》の中において、己自身自ら証した智でもって、四聖諦を了知するためには、四種類の任務を完成させなければならない、と述べている: 五取蘊は遍知されなければならない、 それ…