2018-11-19から1日間の記事一覧
本日、スポット翻訳【般若の智慧のなかりせば】の翻訳が終了しました。 ランダムに拾い読みしながら、気に入った箇所を翻訳して行ったのですが、最後は<慈心の章>で終わりました。 著者は、「智慧のない慈心はありえない」というスタンスです。 私自身も、…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P 225) 禅修行者: 私は、自分が苦しい時、慈心の修習をします。 私は、他人に対して慈心が生じ得ない、という体験をしたことがあります。その時は、己自身に対して慈心を修します。そうすれば、心は更に…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P223) 禅修行者: 禅師。あなたは、慈心の修習をあまり奨励しない様ですが、vipassanā の修行者が、慈心を修習するのは、あまり適切ではないのでしょうか? 禅師: 私は(+それらの人々が)慈心を修習す…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (原文P228) 禅修行者: 四種類の波羅蜜について、私はよく理解することができません; 決意波羅蜜(adhiṭṭhāna)、 出離波羅蜜(nekkhamma)、 戒波羅蜜(sīla)、 諦波羅蜜(sacca)とは、何でしょうか? 禅師…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1)禅の修行者は、過去、現在、未来、内、外、粗い、微細、劣等、優秀、遠い、近いの色、受、想、行、想を遍知し、かつ証悟しなければならない。またそれは、究極色法と究極名法を遍知し、証悟しなければならない…
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 唯一の道(観の修習ーー身随観) 上に述べた様に、14種類の身随観の中、12種類は止業処と観業処に属するもので、それはすなわち、入出息を随観するもの、32身分、四界と9墓地である; 残りの2種類は、純粋に、観…