Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

2019-03-22から1日間の記事一覧

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-27

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【色蘊への認識】 仏陀は『中部』の《五蘊経》の中において、以下の様に解説する: 色蘊には、過去の色蘊、現在の、未来の、内在するもの、外に在るもの、粗いもの、微細なもの、優れているもの、劣っているもの…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-26

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲女性として結生するには、いくつかの条件が必要である: 貪心が大きく、慢心が重く、嫉妬心も重い。 (+リトリートに参加している)貴女方は含みません。貴女方は、布施し、持戒し、禅の修行もしている為、これ…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-25

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 生老病死以外に、「怨憎会苦」がある。 好きではない人と、なぜか一緒にいなければならず、それは例えば、同居している嫁と姑の様である。 お互いに、嫌い合っているのは明らかなのに、表面では、仲良しである様…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-24

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 師父は老いるし、あなた方も老いる。 老いる事は苦であるか、苦でないか? 老いは、勿論、苦である。 ここが痛い、あそこが痛い。 身体が老いると、何か、良いことがあるだろうか? ゴミ箱は、まだゴミを放り込む…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-23

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 《転法輪経》の中で、仏陀は五比丘に訊ねる。 苦聖諦とは何か? 仏陀は、説法が上手である。 先に質問し、その後で説明する。 仏陀は開示する: 生まれるのは、苦である。 結生した後から即刻、苦しみが始まる。 …

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-22

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 多くの経典にすでに述べられているが、《大念処経》では、仏陀が以下の様に開示している。 同様な開示は、《転法輪経》にもある。 《転法輪経》は、釈迦牟尼仏陀が、一切智智を悟った時の最初の開示である; 一切…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-21

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【苦聖諦とは何か】 皆さんは、八正道を聞いたことがあると思う: 正見、正思惟、正語、正業、正命、正念、正精進、正定である。 一尊一尊の仏陀は、みな、パーリ語を話された。 「正見」の意味は: 苦聖諦を知…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-20(18/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲『四聖諦』と「名色分別智」の関係 アメリカ菩提学会(二/上)2018年11月3日 《大念処経》では以下の様に言う: 禅の修行の目的は、煩悩から解脱する事である。 南伝の教えの中には、「解脱道」と「菩薩道」の区…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-19

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 己自身が、「自然な呼吸」を知っている状態を保っている事を、どの様にすれば、確認することができるのか? ・・・まず、人差し指を鼻と唇の間の前に置く。 正念を指の上において、自然な息を覚知する。 30秒ほど…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-18

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「呼吸をコントロール」してはならない。 呼吸をコントロールすると、頭が締め付けられて、重くなる。 「呼吸の出入りの時に生じる摩擦」に、注意を払ってはならない。 「鼻の冷たい、熱いを覚知する」をしてはな…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【安般念の修法】 次に、《大念処経》の中の「身念処」を紹介するが、先に「安般念」を、説明する。 まず、静かな森林、清潔な木の下などの場所を、選ぶ。 というのも、森林は、比較的静かであるから。 あまりに…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 台湾のある禅修行者が(+過去世を調べた所)、過去の500個の生命の内において、釈葉仏に出会い、仏陀に袈裟を供養した(+ことが分かった)。 このことから、500個の生命の内において、悪道に堕ちることなく、い…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 早く持戒し、禅の修行を、しようではないか。 縁起の法の修行ができて、己自身の過去世はどの様な生命で、どの様な生活をしていて、どの様に死んだのかを知る事ができたなら; これから先、己自身がどの様に結生…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-14

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 我々の、この五蘊(色受想行識)は、ずっと我々を殺害しようとしている。 それは、我々の友でもなく、我々に属するものでもない。 お腹がすくと、それ(=五蘊)に何か食べさせなければならない。 多く食べ過ぎる…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-13(11/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ある種の人々は、仏陀の世において、大阿羅漢はあまり修行をしていないのに、なぜ我々は、この様に多くを学ばなければならないのか、という疑問を持っている。 ・・・というのも、あれらの尊者は、過去世において…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> シャーリプトラ尊者、モッガラーナ尊者の様に、いまだ仏陀に会いまみえていない前から、すでに初道初果を証入した人たちもいる。 というのも、彼らは五比丘(+のうちの一人である所の)アッサジ尊者に出会い、尊…