wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

仏教

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-117

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-10-1 10種類の捨 捨には10の種類がある: 1,六支捨(chaḷaṅgupekkhā); 2,梵住捨(brahmavihārupekkhā); 3,覚支捨(bojjsṅgupekkhā); 4、精進捨(viriyupekkhā); 5,行捨(saṅkhārupekkhā); …

「身念処」1-34(30 /203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-7 八聖道 八聖道とは、37道品の最後の要項で、この八聖道を加えて、37項目になるものである。 八聖道は、世間と出世間という、二種類があり、7菩提分が円満された時、八聖道は、出世間(聖道)になるが、この…

「身念処」1-33

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 4)喜覚支(喜悦) この種の喜は、実相般若から出たものであって、貪愛・煩悩などの、世間的な快楽ではない。 11法を円満する必要があり、それはたとえば: 修行者は、仏、法、僧、戒と涅槃の功徳に、思いを馳せ…

「身念処」1-32

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-6 七菩提分(図1-1) (七菩提分は、八聖道の勇猛な智慧を誘発する事ができる。八聖道は、悟道に導く事ができる。そして、この道は、四念処より始まる。) 1)念覚支(念住) 正念が非常に強くなる: この段…

「身念処」1-31

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-5 五力(図1-1) (五力の作用は、五根と同じであるが、その力は五根より強い) 1)信力: 修行に対しての信心(=確信)が、一層強化され、修法を正しいものとする、確信が生まれる。 2)進力<ママ>(訳者…

是誰庵のひとやすみ~凛々として

2011年に東関東・福島大地震が起き、東電の原子力発電所が暴発し、廃墟と化しました。 私はそれ以前に、通訳随行員として、女川原発を視察した事が有り、施設内部を見、職員の説明を聞いた結果、原子力発電にはよい印象を持っていませんでした。 そのため、…

「身念処」1-30

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-4 五根(図1-1) (四念処に用いる場合) 1)信根(信心・確信、信仰・信頼によるコントロール能力): この段階において、心の力は強くなり、(+修行を)嫌になったり、厭きたりしない。 修行者は、四念処…

「身念処」1-29

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-2 四正勤(図1-1) (すでに生じた煩悩は断じ除き、いまだ生じない煩悩は、増長させない事に、精進する) 1)悪の境界を断じ除く努力をする。 2)悪の境界を防御する努力をする(この二項の煩悩は、蓋とい…

「身念処」1-28

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-1-5 修行の助縁 (煩悩を断じ除くのに有利な条件) 1)住む場所の助縁: 静かで、誰かの持ち物ではない所。 それ故に、執着から生じる煩悩とは、無縁であるような場所。 2)法の助縁: 修行者の性質と行動…

「身念処」1-27

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-3-3 如理作意と覚察力(=察知力) 上述の二点以外に、修行に役立つ二種類の要素がある: それは、如理作意(すなわち、何かをなす時には、その理由をよく知って、同時に、煩悩を防止する事)及び察知力(す…

「身念処」1-26

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 2)受 身念処を修している時に、受を観じてはいけない。受念処の修習の時にだけ、受を観ずるようにするべきである。 たとえば、身体が痛みを感じる時、心が痛みを知っているという事に関しての、観照をしてはな…

「身念処」1-25

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3-1-1 四念処を修する時の要件 a)身、受、心または法を所縁とする必要がある。 b)三心(精進、正念、正知)の下に、所縁を観照する事。これが真正なる四念処の修法であり、四念処は、涅槃への道を強化し、涅…

「身念処」1-24

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1)所縁:座っている時の、色身を観照するーー己自身に対して。 2)能縁:精進ーー正念ーー正知。これが、真正なる四念処である(この三心とはすなわち、戒・定・慧と八聖道である)。 3)目的:五蘊への好悪…

「身念処」1-23(20/203)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 図1-1 37道品 (訳者~当ブログは図表を作る事ができませんので、文章形式・箇条書きとします) 1)身(身念処)は、14個の所縁 (粗いか微細かの動作のみ)。 2)受(受念処)は9個の所縁。 3)心(心念処)…

「身念処」1-22

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-3 37道品 人は、過去を追憶してはならないし、未来を妄想してもならない。 過去は・・・すでに過ぎ去っており、未来は・・・未だ来ていない。 今ここにおいて生起した所の、一つひとつの念頭(=想い)を観照し…

是誰庵のひとやすみ~白菊会

昨日は、某大学医学部白菊会(献体関連の、大学の外郭団体)の合同慰霊祭があり、お招きがあったので、行ってきました。 私は献体登録をして、もう30年くらいになります。 20年前に、子宮がんを手術した時は「もう献体できないのか?」と思いましたが、その…

「身念処」1-21

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀が、悟道した当夜経験したのは、四聖諦の三つの智階(彼が経験したのは、4*3=12階)である。 彼は、三つの智階(諦智、作智、証智)を理解・了解したけれども、一つの智階毎に、四つの聖諦を掛ける(+のが…

「身念処」1-20

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-2 智階 仏陀は、三つの段階を経て、四聖諦を体験・証悟した。 彼を教え導く人がいなかった為、彼は、己自身に頼って、この三つの智階を、体得した。 1.諦智 第一番目の智階であって、諦智と言う。 彼は以下の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-116

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 喜が消失: この二種類の意味を理解する必要がある; すなわち (一)尋と伺が止息した; (二)尋と伺が止息し、喜も超越した。 当然、第二禅の中において、尋と伺は、止息される。 しかしながら、このように言…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-115

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-10 第三禅 このようにジャーナを証得したならば、あなたは、第二禅の五自在を、練習しなければならない。 あなたが、第二禅の五自在に習熟して、次に、第三禅の修行に進みたいと思うならば、あなたは、第二禅の…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-114

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 両支の捨離: 両支の捨離とは、尋と伺の捨離である事を、知っておかねばならない。 五蓋は、初禅の近行定において、すでに捨離されてはいるが、このジャーナ(第二禅)に関して言えば、尋と伺は、その近行定にお…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-113

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 無尋無伺: 修習を通して、捨離をした為に、このジャーナには、尋がない。この種の解釈は、伺にも適用する事ができる。 《分別論》も、以下のように言う: 「故に、この尋と、この伺は、すでに平静にされ、平静に…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-112

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-9-1 尋と伺の止息(=止むこと) ここにおいて「尋と伺の止息」とは、この両者を超越したその後にしか、第二禅に入れない事、を意味している。 自信:この言葉の意味は、信じる事、と同じである。ジャーナは、…

「身念処」1-19

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 涅槃は、心ではない。 それは、心の所縁である。 実相般若が非常に強い時、心は、凡から聖へと、転換する事ができる。 この種の転換を、道刹那と呼ぶ。 道刹那の後ろには、道果が続く。 両者は皆、涅槃を所縁とす…

「身念処」1-18

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> これらは、非常によい質問である。 というのも、仏教徒は皆、苦を滅したいと考えており、苦を滅したければ、涅槃を証得しなければならないからである。 我々は、手短に、これらの疑問に対して、答えたいと思う。 …

是誰庵のひとやすみ~Simple is best 続き

昨日のブログ<是誰庵のひとやすみ~尼僧認定>では、 <Simple is best>で終わりましたが、実は<Simple is happy>とも言えます。 まず基本は、今、ある種の問題が目の前にあるとして、それをそれ以上、複雑にしてはいけない、という事です。 問題の本質…

「身念処」1-17

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 禅定の修行は、仏陀の(+生まれる)前から、存在していた。 仏陀は、最高の(第八次第)禅定を成就するまで、禅定の修習をした。 しかし、彼はこの種の定は、潜在的な煩悩を断じ除く事ができないことに気が付い…

「身念処」1-16

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 戒・定・慧が合わさって、八聖道になる。 では、戒・定・慧とは、何であるか? 我々は、先に持戒が清浄のレベルになって後に初めて、定と慧を体験・証悟する事ができるのであろうか? 八聖道の中の戒・定・慧は、…

是誰庵のひとやすみ~尼僧認定

私は、Y盆地にある、某温泉施設の<歩くプール>で、水中運動するのが日課です(歩くプールは、持病の浮腫に、とても効きます)。 ここは、<歩くプール>の他、内風呂も露天風呂も付属しているので、自庵でお風呂を沸かさなくて済み、とても助かっています…

「身念処」1-15

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 彼が教えたのは、八聖道の中の戒・定・慧(認知・認識を明らかにする事)である。 なぜ、八聖道の中の戒・定・慧である、と言うのか? というのも、八聖道の中の戒・定・慧は、中道法であり、中道は、四聖諦を成…