wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

仏教

「身念処」1-11

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 五蘊または心・身は、苦(苦諦)である。(「sacca」とは「真諦」の意。故に「dukkha-sacca」は苦諦ーー第一聖諦である)。 五蘊は真正なる苦諦で、苦因の果であるが、苦の因は渇愛で、それは第二聖諦の如くに、…

「身念処」1-10

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> a)一人ひとりは、四法の中の三法(心王ーー心所ーー色法)を具足している。または、この四法を、心と身体(名と色)に要約する事ができる。 または、それらを五つの細かい部分、五蘊:色、受、想、行、識に分け…

「身念処」1-9

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1‐1‐1‐2 討論 仏法は、以下の二つの方面に、定義することができる: 1)自然界の真実の状態。 2)仏陀の教法。 1)自然界の真実の状態 仏陀は言う「Sabbha dhamma anatta」。 この意味はすなわち、「一切の法…

「身念処」1-8

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> そこで、我々が最初に決めた、仏法に対する定義は、これら実相(心王ーー心所ーー色法と涅槃)こそが仏法・・・真正の仏法である、と言える。 世界の、一個(+または一人)の有情は、この色・心二法の定義に合致…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-108

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> あなたが相を観察する事を通して、再度、これらの方式を掌握したなら、あなたは成功里に、安止に到達する事ができるが、しかし、それを永く維持する事ができない。 それは、(+心が)禅定を障礙する所の諸蓋の中…

「身念処」1-7

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏法が、前三法(心王ーー心所ーー色法)を立てる目的は、「あなた」は実際には、多くの部分(迅速に生・滅する心と、迅速に生・滅する色身)によって、構成されている事を、証明する為である。 というのも、どの…

「身念処」1-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 故に我々は、最終的に、仏法の実相の定義を、心身と覚悟(=覚醒、以下覚醒)ーーまたはパーリ語で言う所の、心王ーー心所ーー色法と涅槃とする事ができる。 仏法について言えば、この四法は、皆実相である。その…

「身念処」1-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hot> しかし、心態(心王)だけを語るなら、それはまだ、足りない。 心態(心王)は、実際は52個の心所法によって構成されている(たとえば:触、受、想等は皆心所法である)ので、故に、心の真正なる定義は「心王ーー…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-107

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ちょうど一人の巧みな料理人が、自分の雇い主に奉仕するかの如くに・・・。 彼は注意深く、雇い主が食す所の、一切の食物を選択し、(+ひとたび選択したならば)それ以降は、その食品だけを送ってくるようにする…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-106

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-8-9 如何にしてジャーナを維持するのか? かくの如くにジャーナを証得したならば、禅修行者は、毛髪を射る者、または料理人のように、その方式を観察して、それを証得しなければならない。 ある一人の射手が、…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-105

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 行道清浄(paṭitadāvisuddhi)とは何か? それは、近行定及びその相応する所の、法である。 捨の強化(upekkhānubyuhanā)とは何か? それは、安止定(ジャーナ定)である。 満足(sampahaṁsanā)とは何か? それ…

「身念処」(翻訳文)1-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1-1-1 仏法とは何か? 1-1-1-1 略説 真正なる仏法は、寺院でもないし、仏像でもないし、僧に供養する食べ物でもないし、儀式でも、ない。 これらの物事は、非常に価値があるけれども、しかし、真正なる仏法ではな…

「身念処」(翻訳文)1-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 今日、世界の人口は、どんどん増えている。 そして、人は、前代未聞の裕福な生活をしている。 しかし心内は、却って空虚に感じられる。 その為、徐々に、四聖諦と中道法を学ぶ人が、増えて来ている。 釈迦牟尼仏…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-104

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 初禅において捨の強化は中: 中にはいくつ、相があるか? 中には三つ相がある: (一)今、彼は平捨(=平等に捨て去る)に清浄心を、傍観している; (二)彼は平捨に、それがすでに、寂静の為に道を切り開いた…

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-103(109/415)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 8-8-7 ジャーナにおける三方面の善及びその10の相 三つの方面における善とは: 初善、中善と後善である。 10の相とは、初、中、後における相を言う。 以下にその経文を紹介する: 「初禅において、行道清浄は初、…

是誰庵のひとやすみ~アチャン・ネンについて

今日から翻訳が始まりました「身念処」は、タイのアチャン・ネンの作品です。 私は翻訳を始める時決して、目的の本を、最後まで読む・・・という事はしません。 中ほどに、難しい表現が出て来ると、萎縮してしまいますので、中身は確認しないまま、「エイヤ…

「身念処」(翻訳文)1-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 1.1 仏法 2600年前、インドの北方にある小さな王国の王子シッダタは、人生における苦の様相を見た為、妻子を置いて、己独自に、苦の滅の方法を、探し求める事にした。 彼は、当時の印度の苦行者の修行の目標に追…

「身念処」(翻訳文)1-1(5/203 )

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 第一章 理論 一切の有情は、既に生まれたものも、これから生まれ出ようとするものも、彼らの躯殻(=身体の殻)を残して死ななければならない。 この有情の共通の運命を知ったならば、智者は、修行に努力して、高…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-4(付録)最終稿

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”よく気を付けて、慎重に八斎戒を守るように。 あなたまず、世俗の門を閉めて、解脱へ向かう窓を開けなさい。 よく覚えておくように; 持戒の真正な目的は、戒の精神を、あなたの思想、言葉と行動の上に、体現す…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-3(付録)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”これから以後、必ず梵行生活を送るように。 如何なる男女関係も持ってはならない。 淫行と情欲は、心身の清浄を破壊し、修道の目標とは180度異なる。 故に、慈心と敬虔で誠実な心をもって、淫欲のエネルギ―の、…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-2(付録)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ”三宝に帰依する事は、究極解脱の基礎である。 戒は、我々が修道する上においての規範であり、悟り・覚醒の助縁である。 敬虔に持戒すれば、我々の心は罪を犯す事がなくなるし、懊悩する事もなくなる。 また、戒…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)8-1(付録)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <アチャン・カンパンが メーチ・ケーウに語った戒と律> ”仏法僧の三宝に帰依する事は、一人の仏教徒が仏法を追求する所の、第一歩となる。 また、最も根本的な、第一歩でもある。 仏陀は円満なる覚醒者の模範で…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 我々の、この世間で得られる知識は、 非常に有用かも知れない。 しかし、どのような知識をもってしても、 真実に己を理解する事とは 比べものにならない。 肉眼で得た理解と、 心霊で得…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-5

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 我々は、生まれてはまた死に、 死んでは、また生まれ、 生、老、死が、輪転して止まない。 我々仏弟子たるもの、決して、 己自身の真実に関して、 何一つ知らないまま、 命朽ち果てるな…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-4

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 決意して、 禅の修行に精進し、 あなたの心を鍛錬しなさい。 心身のすべてを、 仏法の追求に投げ入れ、 松明のように、 あなたの心でもって、 道を照らしなさい。 真心でもって 修行し…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> 人の心は、苦痛で満たされていて、 何ものをも、はっきりと知る事が、 できない。 間抜けな人は、 肩で風を切って、苦悩を迎え入れ、 己の欲望に捕らわれ、その中に陶酔し、 苦痛を快楽…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-2

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> あなたは、村全体の茅葺の家の屋根に 使う萱を、すべて用意する事はできない。 布施は、自分の出来る範囲で、実践すべし。 もしあなたが、何か恥ずかしい事を してしまったならば、 な…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-1

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> <メーチ・ケーウ法話集> この世間に生まれ出たあなたは必ず、 己自身に生まれながらに伴った智慧を 頼りに生きなければならない。 あなたは快楽・・・楽しさを追求しても よいし、珍しいものを探し求めてもよい…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-13

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウの荼毘は、翌日の午後、卉晒女性専門道場で挙行された。 200人を超える比丘と、数千人を超える信徒が出席し、最後の敬礼を捧げた。敬意と敬虔なる誠意を表す為に、男女の出家衆と在家信徒は、一列…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)6-12

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウの下あごが垂れ、頬は凹み、皮膚は青白くなって、皺だらけになった。 身体は、ベッドに横になったまま、身体の一切が、老いと病という二つの明確な象徴を顕し、大声でそれを、知らせているようであ…