Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

仏教

「身念処」2-7

翻訳再開しました。 <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「如理作意」の具足されている時、我々は、痛みの感受が、身体の姿勢を、また別の姿勢に変更させるのだという事が分かる。 姿勢を変更する時、痛みは、新しい姿勢に追いてくる。「如理作意」…

是誰庵のひとやすみ~嘘をつく罪

我々が、仏教徒を自称するならば、在家は最低限<在家の5戒>を、出家者は<出家の五戒~227戒(比丘)、350余戒(比丘尼)>を遵守する必要があります。 その中で、在家にとっても、出家にとっても、重要な戒として「嘘をつかない(不妄語)」というのがあ…

是誰庵のひとやすみ~禅僧の断見

最近、ある所(WEB)で、日本の禅宗の、某著名禅僧が「輪廻はない」と言っているのを耳にしました。 私はよく台湾に出かけ、台湾で出版された中国語の仏教書を手に入れて読みますが、中国・台湾の禅宗の僧侶が「輪廻はない」などと言っているのを聞いた事がな…

翻訳番外編~預流果の美徳(A Map of the Journey)ー2

ブログを閲覧くださる皆様へ ★ 1月上・中旬は大変に忙しくしておりまして、「身念処」「テラワーダ仏教在家居士帰依戒律ハンドブック」の翻訳を再開しましても、またすぐ休む事になりますので、翻訳番外編として、Sayādaw u Jotika の著書<A Map of the Jou…

翻訳番外編~預流果の美徳(A Map of the Journey )-1

預流果である聖者が一たび、(+正念でもって)己自身の心の状態に気が付くようになった時、もはや、嘘をついたり、詐欺をするなどという事がない。 彼は非常に誠実になり、(+あらゆる事柄を)静かに観察する事ができる。 彼はいまだ、色々な物事を渇望す…

賊住(ぞくじゅう)

出家して比丘となって寺院(サンガ)に住し、日常生活の中で戒律違反をした時は、(先輩、同輩、後輩等の善知識に)懺悔する。 人は間違いを犯すものであるから、過失を認めて懺悔し、過ちを改めれば、何等問題はない。 しかし、出家の比丘でない者が、出家…

マハーカルナー禅師<回答拒否>

マハーカルナー禅師問題に ご関心をお寄せて頂いている皆様へ 2017年11月2日に発生致しました<マハーカルナー法友会>(以下法友会)解散事件に伴って派生しました所の、私 Pañña-adhika Sayalayによるマハーカルナー禅師(以下禅師)への<質問状>に対す…

是誰庵のひとやすみ~心無罣礙

昨日、台湾からたくさんの仏法書が届きました。 パオ・セヤドー(緬甸)、聖法大長老(スリランカ)、 達摩悟陀長老(マレーシア)など等、主にテラワーダのものです。 タイ僧皇 Chao Krom Phraya Vijirañāṇavarorasa の『戒律綱要(Vinayamukha)』もありま…

是誰庵のひとやすみ~悟った僧は・・・

世の中に、<悟った僧は、何をしても許される>という 一種の誤解が、広まっているようです。 これは特に密教で言われ、また大乗でも言われます。 密教の場合、20年前に事件を起こした、オ〇ム真理教の主張などがそうでしょう。 大乗(中国)では、悟った…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4‐11)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 10、出家者に果物、トマト、キュウリなどの生野菜を供養する時、その野菜・果物の種がいまだ成長する可能性のある場合、施主は出家者に<作浄(浄を為す)>のやり方を学ばねばならない。 その方法は、野菜・果…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4-10)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 9、南伝仏教の比丘の戒律によると、歯ブラシと水(注1)以外の、すべての、口に入るものは、必ず授与される必要がある。 食事の準備が終わった後、施主は、施主自ら、すべての食べ物を、出家者に授与しなければ…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 一般家庭におけるサンガ施 南伝の出家者は、早朝、衣を着用して、人々のいる場所に行って托鉢する以外、その日の朝、未だ誰かの要請を受けていないならば、出家者は、施主の要請を受けて、その人の家に行って、供…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4-7)(45/70)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 付録2 サンガ護持編 ”世尊の弟子サンガは善行道者であり、世尊の弟子サンガは正直行道者であり、世尊の弟子サンガは如理行道者であり、世尊の弟子サンガは正当道行者である・・・すなわち、四双八輩であり、この…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4‐4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 混合薬とは、異なる種類の薬を混ぜて、食用するものを言う。 混合した後の薬は、その中の最も期限の短いものを基準として、時間を計算する。 例えば、漢方薬の材料は、一般的には、終生薬に相当するが、しかし、…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4-3)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 7日薬(sattāhakālika)とは、南伝の比丘が、7日以内なら、手元に保存してもよく、また食してもよい薬の事。 1、バター(navanita)。 2、ギー(sappi)。 3、油(tela)ーー植物性油と動物性油。 4、蜂蜜(m…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4-2)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 非時果汁の製造方法は以下の通り: 沙弥または在家など、具足戒を受けていない人が、ジュースにしたい小さな果物を押しつぶして、その後に布でろ過し、残渣と分ける。 ろ過したジュースは湯冷ましで希釈した後、…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(4‐1)   

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 付録1 南伝出家者托鉢への布施・供養について どのような時でも、どのような場所においても、南伝の袈裟を着た出家者が托鉢するのを見て、何か布施か供養をしたいと思った時、決して、現金を鉢の中にいれてはな…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 兜率天サンガから居士団体への提案 1、携帯を使って、偽比丘の情報を広報する。 2、実情を新聞に載せて、大衆を教育する。 3、この本の内容を、メールであちこちに転送する。 これは一種の ”つなひき”、戦いで…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-6)(30/70)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 仏陀は《増支部・七集・火蘊譬喩経》の中で、以下のような比喩を、述べた事がある。 「比丘たちよ。 私はあなた方に告げる。 一人の破戒した、悪性の、己の為した事柄を隠蔽する、非沙門でありながら、沙門である…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-5)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 後記 偽比丘が、マレーシアの社会において詐欺を行う事象には、すでに警鐘が鳴らされた。 民衆の幸福の為に、また、偽比丘への憐憫から、サンガは、この事に無関心ではいられないし、何事もなかったように、見て…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(3-4)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 在家の信徒衆は、出家の修行者に、衣服、飲料・食物、住居、医薬品などの、日常生活における必需品を供養・布施して、物質的な方面において、出家者を支援する。 そして、広大な信徒衆への謝恩として、仏陀は、出…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-8)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ●南伝の出家者の戒律において、出家者は金銭を受け取れないだけでなく、身体的にも、どのような金銭をも、所持することができないし、また金銭、財物を、己自ら処理したり、使用したり、支配したり、管理したりす…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> マレーシアの仏教 マレーシアの仏教は、北伝仏教と南伝仏教の、二大体系に分かれる。 北伝仏教は主に”大乗仏教”または”菩薩乗仏教”と呼ばれ、その依拠する経典は、古代インドの雅語梵文(Sanskrit)を用いて書か…

翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(1-1)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 「偽比丘」の見分け方 序説 釈迦牟尼仏が2500年の前において、真理に覚悟(=覚醒)した。 その時、この偉大な真理を更に広く、更に長く伝わるようにとの願いから、サンガを成立させ、また広大な在家信徒を受け入…

「身念処」2-6

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 精進、正念、正知の三者は、身・心の観照の時、同時に運用する。 もし、正念が強すぎる時、正知は弱くなる為、修行者はこの点に注意を払わなければならない。 この種の洞察力は、覚察力(=察知力)と言い、この…

是誰庵のひとやすみ~『智慧の光』の読み方

私は1998年に、台湾でパオ・セヤドー著『智慧之光』(中国語版)を手に入れて後、当該書籍の日本語訳に取り組み、その後20年来、『菩提資糧』など、パオ・セヤドーの他の著作、テラワーダ系の、私が良い思った比丘尊者、メーチ(尼僧)の方々の著作も、何点…

是誰庵のひとやすみ~捨覚支について

先日、IT上で、台湾の仏教団体のWebを見ていましたら、<捨覚支>に関する説明が、載っていました。 ざっと申し上げますと、捨覚支の実践とは、 社会で起こっている色々な出来事は、結局は、己自身が5根を通して情報を受け取って、ああでもない、こうでもな…

是誰庵のひとやすみ~在家の修行と出家の修行

今回、私のブログで「マハーシ瞑想」について述べましたので、その続きとして、一言。 30年ほど前でしょうか? 日本でマハーシ瞑想が流行りました。 坐禅しながら、己の腹の起伏を見て(=気づいて、以下同様)、または歩きながら足の上げ下ろしを見て、気づ…

rubyさんのコメントへの返信

rubyさんへ。 私のブログ<是誰庵のひとやすみ~再びvipassanaについて>をご閲覧の上、コメントを頂き、ありがとうございます。 私は20年前、緬甸(ミャンマー)のモーラミャインにあるパオ僧院本山で修行した時に、本山を抜け出してヤンゴンに出かけて、マハ…

是誰庵のひとやすみ~再び vipassanaについて    ~パーリ語マジック~

日本では、 vipassana という言葉が一人歩きをして、 非常に混乱しているように思います。 私たちが安般念(出入息の瞑想)をして、意識が少し深くなる時、例えば遍作定とか近行定とかの時点で、身体の色々な変化が<見えて>きたりします。 これまで、のん…