Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵闘病記>神様が作った身体(順不同)

2月13日に、大分大学付属病院より退院してまいりました。

本日18日、床上げして、近くの共同温泉まで湯あみに行って来ました。

先日予告しましたテーマについて、ボチボチ書いてみます。

最初に、<神様が作った身体>。

私は基本、仏教徒です。なぜクリスチャンでなくて、仏教徒かと言うと、<この世を作ったのは神様である>というキリスト教の考え方についていけないから。仏陀は<創造神はいない><この世は縁起~自然(ジネン)によって成り立っている>といい、私はこの考え方が好き。

しかし、よく考えてみると、私自身は創造神に会った事はなく、「会った事がないのだから、創造神なんていないに違いない」という言いざまは、一種、お山の大将、チト我田引水が過ぎるかもしれない・・・(ちょっと弱気)。

さて、本題。

1月21日に大学病院に入院し、手術の内容と手順について、主治医の A 先生から説明を受けた時、A 先生はこうおっしゃいました。

「私たちは今、神様が作ってくれた身体にメスを入れて、悪い所を取る手術をしようとしています」「神様が作ってくれた身体を、われわれ人間がいじる。この時、全く100% 問題が起きない、と思う方が傲慢です」「神様が作ってくれた身体をいじるのですから、術後に副作用がでます」「その一つが、縫い合わせた内臓の部分に小さなピンホールが出来て、食事を取り始めると、そこが膿んで熱が出る事です・・・云々」。

私は、A先生が何度も何度も繰り返す「神様が作ってくれた身体」というフレーズを聞きながら、なぜか反発を感じる事なく、「そうだよねぇ。こんな精巧な、神秘的な身体、確かに私が作ったわけじゃない」「そしたらやっぱり神様が作ったのか知らん?」なんて、回らぬ頭で考えていました。

A 先生がクリスチャンかどうか分かりませんが、ご自分の専門である消化器系の手術を何度も何度も担当して、その結果、「身体というものは、神様が作ったものだ」「私はただ、神様の僕として、病人が健康体を取り戻せるようにお手伝いしているだけなのだ」という実感を得たのではないか、と推測します。

人間の身体(大宇宙を含む)は、神様が作ったのか、縁起によって自然が作ったのか、はたまた宇宙意識が作ったのか、歴史や風土や立場によって、色々に説明がつくのでしょうが、少なくとも、人間が作ったのではない事は確かなようです。そして、自分で作ってもいないのに、自分のものみたいに使っている私がいる・・・すごい事ですよね。

今回の入院・手術で、以前より、ちょっとだけ謙虚になった私であります(苦笑)。

追補:神様と宇宙意識とはどう異なるのか?縁起とは何か?自然(ジネン)とは何か?この神学を語り始めると頭が痛くなるので、深い話はパスしま~す。すみません^^;。