Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義>宗教アレルギー

最近、つくづく、日本は宗教アレルギーの強い国なのだなぁ、と思います。

宗教の話をすると、必ず<勧誘している>と受け取られて、煙たがられます。

勿論、当方に勧誘する気持ちはなく、哲学の話をするのと同じようなつもりで話しても、です。

これは、過去にオ〇ム真理教事件があったための後遺症なのでしょうが、そもそも、オ〇ム事件が起きる所に、日本の宗教の問題点が感じられます。

私が見聞した東南アジア、台湾も、タイも、緬甸(ミャンマー)も、仏教がとても盛んです。

タイでは、国王から下々のお手伝いさんまで、お寺に行って瞑想します。私の知人で、スリラクさんという方(女性)は、東北タイまで、バンコクから飛行機に乗って、自分の好きなお寺に行って瞑想していますし、会社員には<瞑想有給休暇>が出ます(私がカンチャナブリにあるお寺で修行していた時、タイ航空のパイロットが集団で瞑想しに来ていて、有給だと言っていました。そして、そのお寺が気に入ったらそのまま出家してしまう人もいるそうです)。

親友がクリスチャンでもイスラム教徒でもOK、自分の宗教的思想信条を語りあえる友達がいたら・・・う~ん、日本ではちょっと難しい・・・。

最近、日本の若者たちが<閉塞感>について述べることが多いですが、原因の一つは、こういう所にもあるのではないでしょうか?

補:人々が宗教(仏教)を嫌うのは、日本の宗教法人が<集金法人>になっているから、でもあるでしょう。自国の宗教を清らかなものに正していくには、その国の国民(在家)が努力しなければならない、と思います。日本で、いつの日か、普通に宗教の話ができる日が来るでしょうか?

ちなみに、仏教は<頭ごなしの信仰>ではありません。多少は、教えを正しいと信じて(修行に)頑張ってみる、という態度は必要ですが、見えないモノを、やみくもに信じればよいという<迷信>ではなく、基本的には<自己とは何か>という実存の問題を解決する手法の事で、宗教と言うより、哲学、心理学、物理学(宇宙論)、道徳論の融合した<人間存在教育論>といった方が適切かと思います。故に、タイや緬甸では仏教の事をサーサナ(教え)といい、ブッディズムとはいいません。