Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義~10>鳥皮の炒り煮から

先ほど、友人から電話が入りました「今、中津にいるの~。明日そっちに行くのでよろしく~」。

それで私は急いで、酒の肴を3種類ほど作りました(私自身は、戒律の関係でお酒は飲みませんが)。

そして、その内の一つ<鳥皮の炒り煮>をガラスの食器に入れました。30分後、<大豆の煮もの>が出来たので、<鳥皮の炒り煮>と同じ所に並べようとしたのですが、はて、<鳥皮の炒り煮>どこへ置いたっけ????

人間、還暦を過ぎると悲しいかな、記憶力がぁぁぁぁ悲惨な状態ですよね(謡曲の先生も<一日の半分は探し物をしている>そうです~笑)。

でも不思議、子供の時の記憶、特に負の記憶、恨みつらみは忘れないですねぇ、私は、父が姉を猫かわいがりして、姉だけに色々なものを買ってくるので、それがとても嫌だったけれど、それ、今でも忘れていないです、でも、30分前に、友達の為に作った酒の肴の置き場所は忘れるんですねぇ・・・(苦笑)。

人間の人格は、記憶でもっている部分があります。私はこういう学校を出て、こういう仕事をして、こういう事が好きで、こういう事が嫌いで・・・、でも、これって本当でしょうか?

記憶力が衰えたら、自己イメージだってアヤフヤになりますよね?

仏教が<プライドなんかなんの役にも立たない>という時の根拠、結構この辺りにヒントがありそうですね。

自分なんて、元々無いのじゃない?その時々の、自分の気分と執着心に依って、<これが自分だ!>って思っているだけなんじゃない??

<鳥皮の炒り煮>を探しながら、<自己の深淵>を考察していた私です(笑)。。