Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義~14>私の神秘体験

世の中の学問に、神秘体験、神秘主義、超能力というカテゴリーがあるのですが、私は宗教学者ではないので、これらについて、論理的に分かりやすく説明する事ができません。

ゴータマ仏陀は超能力(神秘体験の一部分?)を積極的には評価しませんでした。無常・苦・無我の三法印を悟って涅槃するのを理想としていたゴータマ仏陀は、超能力と涅槃は無関係であるから、超能力の開発に夢中になる事は推奨しなかった、という事です。

それでも、私がここで私の神秘体験(超能力含む)を書くのは、<人間は肉体のみに生きるに非ず>という事を知って頂きたいからです。

かく言う私も、自分が神秘体験をする前は、社会的な成功や、幸せな家庭(のイメージ)を追及し、才能や富を人と比べて、心はいつも不安で、不安定でした。

勿論、現在も、無常・苦・無我を完全に悟っている訳ではないので、不安から免れる事はありませんが、相対的に以前よりは、不安の度合いが多少は、薄れたと思います。

さて、私の神秘体験ですが、まだ修行も始めていない若い頃、夜中になぜか急に目が覚めると、丹田がボンッと音がして、爆発しました(笑)。とてもびっくりして自分は頭がおかしくなったのかと思いましたが、神田の本屋街に行って「クンダリニー」(ゴービ・クリシュナ著)という本をみつけ読んだ所、私と似た体験が書かれていて(ゴービさんの方がすごい深刻・重症)、世界には自分に似た人がいるのだぁと思って、とても安心したのを覚えています。

次が、第三の眼。チベットのタンカなどに、額に縦にもう一つ目玉が書かれている仏画がありますが、あれ。あれ、本当に縦に目が開きます(笑)。これは、タイの森林寺院で瞑想修行していた時に体験しました(何ができるかというと、目だから・・・ね~笑)。

次に、世界中の物体の、光っているのが見えるようになりました。これは台湾の花蓮にあるお寺で合宿瞑想会に参加した後、当時寄宿していた台中の尼寺に戻って、翌朝、歯を磨いていたら、自分と自分の後ろのモノ達がピカピカ光っているのが鏡に映っていて、仰天しました(オーラとも違うようです)。

この能力は何なのか?パオセヤドーにお尋ねしたら「眼路の意識を経由しないで、心で直接ルーパカラーパ(素粒子)の光を観ている」との事。そう説明されても、自分では未だに原理がよく分からないのですが、軽いサマーディに入るといつでも、周囲のもの、山、家、人、花木、机、要するに素粒子でできている物体、すべて光を放出しているのが見えます。

他には、サマーディに入って過去世を観たり・・・、でもこれはサマタ・ヴィパサナの修行を段々にレベルを上げて行けば誰でもできるようになる訳ですが・・・、私のタイプは頓悟で、パオのタイプは漸悟に分類されると思います。

私は(若い頃)余り修行していないのに、突如に、幾つかの神秘体験をしましたが、パオの、一段一段登って行くメソッドとちょっと違っていて、戸惑う事があります。

仏陀の教えからすれば、超能力より涅槃の悟りが大事。でもまぁ、神秘体験のおかげで、人はパンのみに生きるにあらずという事が分かって、精神世界の本を真剣に読むようになりましたから、それなりに良かったな、と思っています。

追伸:サマタ・ヴィパサナーの修行をしない人から見ると、パオ・メソッド素粒子を観察する、などという事も神秘体験に入るかもしれません。できる人には神秘体験でもなんでもなく、想像さえできない人には神秘にみえる。この辺り、神秘体験の定義の難しさ、語りにくさがあるかもしれません。