Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵仏教談義~22>共依存

私は九州の、とある田舎の小都市に住んでいます。温泉があり、観光の名所で自然が豊かで、ここに引っ越して来てよかったなと思っています。

しかし好事魔多しで、近くに一人<けったいなおっさん>がいます。モラハラ、セクハラ、ヘイトスピーチなんでもあり、な人です。彼とは時々立ち話をするのですが、一から十まで、村人の悪口、私へのセクハラ、ヘイトスピーチばかり。これまでは我慢して聞いていたのですが、ある日、彼のセクハラ発言が一線を越えたので、それ以降は、彼に会っても無視を決め込んでいます。

先日、我が家の隣の空き地が売れたので、正確な面積を確認するために測量士がやってきました。測量には、私と、件のおっさんが立ち会いました(おっさんも、この空き地に隣接して畑を持っているので)。

で、この時おっさんと測量士が旧知の仲なのか結構楽しそうに話しているので、私もフラッ~~と「会話の仲間に入りたいな」と思いました。ただし、そう思う直前の、自分の心の一連の動きを、(普段瞑想しているおかげで)観る事ができました。

自分の心の動きを観察して思いました。これ、一種の「依存」ですね。私は女性という事もあって、潜在意識下では、いつも<自分を保護してくれる、優しい人(特に男性)>を求めている事に気が付きました。

モラハラ、セクハラ、ヘイトスピーチまであって、あんなに嫌っていたおっさんなのに、ちょっと楽しげ、優しげな会話をしているのを聞いて「本当は悪い人じゃないかもしれない」ってかすかに希望を持つ。

新聞などで、殴られても殴られてもDV夫から離れられない共依存妻の話がありますが、私も、おっさんから言葉の暴力を受けているのに、もしや優しくしてくれるかも・・・と一瞬、錯覚してしまいました。でも、普段から瞑想しているおかげで、私自身の心の動き~渇愛から有、生まで観えたので、彼に近寄らず、その場に踏みとどまる事ができました。

他人の承認を受けたい、孤独は嫌だという(私の)心の動き。DV夫から離れられない共依存妻と同じレベル、情けないものですね。

さて、尼僧になって3か月、ゴータマ仏陀の教える<犀の角のようにただ一人歩め>といきましょうか。

追補1:ゴエンカさんの瞑想センターで瞑想すると「今は分からないかもしれないけれど、瞑想を続けていると、すべては自分が悪いのだ、という事が分かる日が来ます」というダンマトーク(放送)が流れます。自分の無明、渇愛が観えた時、観念するより仕方ないようです(苦笑)。。

追補2:念を観ずる事ができた時、<観念する心=明らめる心=諦める心>が生まれる。なかなか含蓄のあるオチになりました(笑)。。。