Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~017、018>問答(三)問3-6、3-7(全文)

#017-150711

問3-6 人が死ぬ間際、過去に行った善業または不善業によって業相が生起します。このような現象と、瞑想修行の時に久しく忘れていた昔の事柄のイメージが出現するのとは、類似しているのでしょうか?

答3-6 類似している可能性はあります。しかし、(それは)少数の例に過ぎず、もうすぐ、即刻に死にそうな人(の状況)と少し似ています。

瞑想修行の時、多くの修行者は作意(man‘asikāra)の影響を理解していません。《アビダンマ》の中で、もし作意がなければ、心路過程が生じる事はない、と説かれています;もし作意がなければ、いかなる対象も心の中に生起する事はありません。心識刹那は非常に短いもので、一秒の中に何十億個の心識刹那があります。修行者が修行する時、それらの作意は非常に迅速に発生します。しかし、それらの作意の作用を理解していない為に、彼らは、異なる対象が自動的に、心の中に現前するのだと思っています。事実は、先に作意があって、その後に対象が彼らの心の中に出現するのですが、しかしながら、作意があまりに迅速な為に、彼らは対象が自動的に生起したと誤解するのです。(完)。

 #018-150711

問3-7 修行する時、すでに長い間忘れ去っていた30年来の往事のイメージが心の中に出現するのは、正念を欠いた為ですか?何が原因で、心は修行の対象から離れるのですか?

答3-7 時には正念を欠いた事が原因である可能性がありますが、作意(manasikāra)が原因の時もあります。しかし、多くの修行者は作意を理解する事ができません。ただ、修行(のレベル~訳者)が名業処に到達した時にのみ、作意を理解する事が出来ます。心路過程の発生が非常に速い為、彼らは、作意が原因でこれらのイメージが出てくる事を理解できないのです。《アビダンマ》の中では、いかなる法(現象)も、因縁条件がないまま、勝手に生じるという事はなく、すべての行法は因縁条件が組み合わさって生じるのだ、と述べられています。(完)

 

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は二篇公開。日本及び海外でリトリート中は休筆します)。