Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。

パオ・セヤドー問答集~#019>問答(三)問3-8(全文)

#019-150712

問3-8 死に際において、もし人に非常に強い正念があったなら、彼は過去の善悪業の業相(kamma-nimitta)の生起を免れる事ができますか?

答3-8 強くて力のある正念は、業相が生起するのを防ぐ事ができます。しかし、強くて力のある正念とは何でしょうか?すでにジャーナに到達した人が、もし引き続き修行し、かつ死ぬ間際までずっと、完全で安定したジャーナを保持できるならば、当該のジャーナに相応する念は、非常に強くて力があると言えます。そういう正念は、不善業相または欲界の善業相の生起するのを避ける事ができます:それは縁として、ただ禅相をのみ対象に取るだけです。たとえば:安般念似相または白遍似相です。

もう一つの強くて力のある正念は、観智と相応する念です。もし修行者の到達した観智が行捨智(saṅkhaārupekkhā-ñāṇa)であるならば、この観智と相応する念は、強くて力のあるものです。このような状況の下で、修行者の相は善であり、彼の正念は、不善相の生起を避ける事ができるし、又は、観禅相に代わってその他の善相が生起しようとするのを止める事ができます。観禅(vipassanā)の対象は修行者が選択し、識別した行法の無常、苦または無我の本質であり、彼は死に際において、その本質を対象として、縁として取る事になるのです。その時、臨死速行心(maraṇāsanna-javana)の対象は観智です。死に臨む前のその観智は、天界結生心(deva-paṭisandhi)を生じせしめますので、彼は自然と天界へと生まれます。

このような修行者について、仏陀は ≪増支部・四法集・耳随順経 Sotānugata sutta、Catukka Nipāta、Aṅguttara Nikāya≫ の中で、以下のように開示しています:「So muṭṭhassati kālaṁ kurumāno aññataraṁ devanikāyaṁ upapajjati. Tassa tattha sukhino dhammapadā plavanti. Dandho bhikkave satuppādo、atha so satto khippaṁyeva visesagāmī hoti」――「比丘たちよ、一人の凡夫(puthujjana)が死んで後、彼はある種の天に生まれる可能性があります。そこでは、一切の行法が、はっきりと明確に彼の心の中に出現します。彼は仏法への思惟や観禅(vipassanā)の修行等に後れを取るかも知れませんが、彼が涅槃を証しようとするならば、非常に早くできます」。どうして、それらの行法が、はっきりと明確に彼の心の中に出現するのでしょうか?それは、前世臨死速行心が縁として行法の無常・苦、または無我の本質を対象とするからです。天界に生まれた後、有分心もまた同じ対象を縁として取ります。「主人となる」有分心が行法の無常・苦又は無我の本質を知っている為、観智に相応する念もまた、まったくの疑いもなく、縁としてそれを対象として取ります。この経によれば、観智と相応する強力な正念は、不善相の出現を押しとどめる事ができ、観禅(vipassanā)の相に代わって出現しようとする、その他の善相の出現も止める事ができます。あなたは死亡が発生する前に、この種の正念が備わるように努力しなければなりません。

例えば《帝釈問経 Sakkapañha Sutta》の中で、止観の禅法を修行していた三人の比丘について述べていますが、彼らには非常によい戒行と禅定がありました。しかし、彼らの心は女性の乾闥婆(gandhabba 天界の音楽神と舞神)に生まれたいという傾向を持っていました。彼らは死後天界に生まれましたが、非常に美しく、光を四方に放つ乾闥婆になりました。彼らが前世で比丘であった頃、毎日一人の女性居士の家に托鉢に行き、かつ彼女の為に仏法を開示しました。この女性居士は、初果須陀洹を証悟し、死後は帝釈10天王の子―瞿波迦天子(Gopaka)に生まれました。あの三人の乾闥婆が帝釈の子に歌舞を演じて見せた時、瞿波迦は彼らが非常に美しく、光を四方に放っているのをみて、思いました:「彼女たちはかくも美しく、光を四方に放つのは、過去世において、どのような業をなして、このような果報を得たのだろうか?」と。そして、彼女たちの前世を観察して、彼女たちが、彼が前世女性居士であった時に、托鉢に来ていた比丘だという事を知りました。彼は彼らの戒行、禅定と観慧がすべて卓越している事を知っていて、彼女たちに前世の状況を知らせてあげようとしました。彼はいいます:「貴女方が仏法を聞き、修行する時、目と耳は何に注意を向けますか?」。この三名の乾闥婆の中の二名は、前世を思い出し、その為、慚・愧の念に駆られました。彼女達はすぐに、再度、止禅と観禅(vipassanā)の修行をし、かつ非常に速く三果阿那含を証悟しました。そうして命を終えた後、浄居天11に生まれ、かつ、そこで阿羅漢果を証悟しました。三人目の乾闥婆は、慚愧を覚える事がなく、そのため、引き続き乾闥婆であり続けました。

このように、人に頼んで、生命保険会社を見つけてもらう必要などありません。この種の正念こそが、(人生の)最も良き保障なのです。(完)

 

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は二篇公開。日本及び海外でリトリート中は休筆します)。