Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー問答集~#023、#024>問答(三)問3-12、3-13

#023-150714

問3-12 「有分」は欲界、色界、無色界及び出世間13界において、どのように作用しますか?禅師、例を上げて説明して頂けますか?

答3-12 有分の、前の三種類の界における作用は同じです。というのは、それらは生起して、一期の生命の中の心識刹那が間断のないようにするためで、それは、この期の生命を生じせしめた業がまだ尽きていないが為です。有分の対象は、業でありえるし、業相(kamma-nimitta)または趣相(gati-nimitta 生まれ変わりの生の象徴)でもあり得ます。色界と無色界は通常、業と業相しかなく、趣相はない。たとえば、ある人の有分の対象はチャイティーヨ・パゴダ(Kyaikthityo Pagoda)であり、ある人の業相はシェーダゴン・パゴダ(Shwedagon Pagoda)14であり得ます。我々が「出世間界」(lokuttara-bhūmi)という時、この「界」とは一種の比喩であって、実際は、出世間界は、一つの場所ではなく、「出世間界」とは、四道、四果と涅槃を指します。

四種類の道心と四種類の果心は有分ではありません。涅槃の中には名色(nāmarūpa)がありません。ですから「有分」もありません。

色界果報ジャーナ(rūpāvacara-vipāka-jhāna)――たとえば安般念ジャ―ナ――その有分の対象は安般念似相です。識無辺処無色界(viññāṇañcāyatana-arūpāvacara)の有分の、その対象は空無辺処禅心(ākāsanañañcāyatana-jhāna-citta)です。これらは業であって、この二界には趣相はありません。(完)

#024-150714

問3-13 世間禅(lokiya-jhāna)と出世間禅(lokuttara-jhāna)の違いは何ですか?

答3-13 世間禅は色界禅と無色界禅の八種類の定です;出世間禅は道智と果智に相応するジャーナです。あなたが、色界初禅の名法を無常または苦または無我と認識する時に涅槃を証し、涅槃を透視したならば、あなたの道智は初禅であり、これは出世間禅です。

どうしてか?観禅(vipassanā)の対象としての世間色界初禅の中には5個の禅支、すなわち尋、伺、喜、楽と一境性があります。五禅支が存在しているため、この道果は初禅の道と、初禅の果です。その他の各禅の道果もまた同じ事です。(完)

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本又は海外でのリトリート中はブログの更新を休みます)。