Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

パオ・セヤドー問答集~#027>問答(四)問4-3(前半)

#027-150717

問4-3 もし修行者が修行の過程(パオメソッド~訳者注)を終了したものの、道智と果智はまだ証悟しえていないとして、もし彼の定力が消失したなら、観智も消失しますか?死後、彼は悪道(apāya)に生まれ変わるという事はありませんか?

4-3 彼は堕落する可能性はありますが、しかし、その種の機会は非常に少ないです。もし、非常に長い時間修行しないならば、彼の止観は徐々に弱まっていきます;がしかし、この種の善業の力は依然として潜在しています。

このような話で(思い出すの)は、過去にスリランカで、60名の比丘とサマネーラが外出した時の事です。途中、一人の居士が木炭と生焼きの薪を背負っているのに出会いました。彼の皮膚は炭のように真っ黒でした。(それを見て)何人かのサマネーラがふざけて言いました「これはあなたの父親」「あれはあなたの叔父さん」・・・。その居士は、彼らの言動に失望して、木炭と薪を下して、大長老10(Mahāthera)に礼拝し、少しそこで待ってもらうように頼みました。彼は言います「尊者(Bhante)、あなたは袈裟12さえ着ればそれで比丘だと言えるのでしょうか?あなたには十分に強い禅定と覚観がありません。以前私も比丘でしたが、強くて力のある禅定と神通13を備えていました」

続けて、彼は、一本の木を指さして、言いました「あのような木の下に座って、私は太陽と月をつかむことができ、つかんだ太陽と月で自分の足を掻くことができました。しかしながら、止観善法を修行への軽視と放逸14(pamāda)によって、私のジャーナは消失し、煩悩が私の心を征服し、その為今私はこのような仕事をしているのです。どうか私を反面教師にして、止観善法の修行に放逸であってはいけません。どうか私のようなものにならないように、努力して下さい」

比丘たちは、聞いた後、修行に対する切迫感(saṁvega恐怖)が生じ、立ったままその場で止観を修行し、かつ阿羅漢果を証悟しました。このように、あるときは、放逸の為に止観が暫定的に消失する事はありますが、その業力は依然として存在していて、壊滅する事はありません。

三種類の人がいます:(一)、仏陀。(二)上級弟子(aggasāvaka)と大弟子(mahāsāvaka)。(三)普通の弟子(pakatisāvaka本性弟子):

 

(一)、燃灯仏(Dīpaṅkara Buddha)の時、我々の菩薩は八定(samāpatti)と五神通(abhiññā)を具足し、かつ観禅(vipassanā)を修行して行捨智に到達していました。その時、彼が涅槃を証したいと思えば、燃灯仏から四聖諦の簡単で短い偈文を聞きさえすれば、彼は非常に速く阿羅漢果を得る事ができました。しかし、彼はただただ涅槃を証する事だけを望まず、彼は未来において、仏陀になる事を発願し、そのため、彼は燃灯仏から成仏の授記を受けたのでした。

1:三蔵経典の暗記。

2:四種類の遍浄戒の修行

3:13種類の頭陀行11(dhutaṅga)の修行。

4:長期に森林に住し、アーランニャ行を修行する

5:八種類の定(samāpatti)の修行。

6:五神通の修行

7:観禅(vipassanā)の修行をして行捨智に到達した。

(以下に続く)(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。