Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集#035、#036>問答(四)問4-10、4-11(全文)

ご来訪の皆様へ

7月20日より8月1日は、リトリートの為、ブログの更新を休みます。

その為、本日2セット合計5篇公開します。よろしくお願いいたします。

#035-150720

問4-10 禅師、出来ましたら、科学的な方法で、修行中に経験する光について、説明して頂けませんか?

答4-10 修行中に見る光とは何でしょうか?心処(hadaya-vatthu心所依処)に依存して生起する一つ一つの心(citta)は、心生色法(cittaja-rūpa)または色聚を作る事が出来ます;一つ一つの心は多くの心生色聚を生じます。心処に依存して生起するすべての心の中で、止禅心(samatha-bhāvanā-citta)と観禅心(vipassanā-bhāvanā-citta)は、他の心より更に強くて力があり、それらは多くの心生色聚を造ることができます。もしこれらの色聚を分析するならば、我々は八種類の色法を発見する事ができます。すなわち:地界、水界、火界、風界、色彩、香り、味と食素です。その中の「色彩」は、明るいです。止禅心と観禅心が益々強くなる時、色彩はますます明るくなります。色聚も同時に相次いで生起する為に、一粒の色聚の色彩ともう一つの別の一粒の色聚の色彩が、しっかりくっつくようにして一緒に生起するので、その為、まるで電灯のように、光が生じます。

次に、止禅心と観禅心によって生まれた一粒毎の色聚の中には、必ず火界があります。この火界も多くの代の新しい色聚を生むことができます。これらは時節生色聚といいますが、というのも、それらは火界(すなわち時節:温度utu)から生じるからです。この現象は内部で発生するだけでなく、外部でも発生します。我々がこれらの色聚を分析する時、一粒毎の色聚の中には同じく、八種類の色法があります:地界、水界、火界、風界、色彩、香り、味と食素です。この中にも色彩があります。止禅心と観禅心の力によって、この色彩もとても明るいものです。このように、一つの色彩の明るさともう一つの色彩の明るさがしっかりくっつくようにして一緒に生じると、電灯のようになるのです。

心生色法の光と時節色法の光は同時に発生します。心生の「色彩」色法はただ内部でしか生じる事ができませんが、時節の「色彩」色法は内部と外部の両方で生じる事ができ、かつその光明は十方へ拡散し、一つの世界または世界系(cakkavāḷa)、またはそれより遠くへ及びます。どこまで拡散するかは、止禅心と観禅心の強度によります。仏陀の名色識別智によって生まれた光は、一万個の世界に拡散する事ができます。阿那律尊者の天眼心(dibba-cakkhu-citta)によって生じた光は、一千個の世界に拡散する事ができました。その他の弟子の観智によって生じた光は、一由旬29(yojana)、二由旬等々、彼らの止禅心と観禅心の力量によりますが、生じた光は、各方面に拡散されます。

通常、修行者は、生滅随観智に到達したときにのみ、この光が一群の色聚でできている事を理解します:彼らが止禅を修行している時、光が一群の色聚であると理解する事はできません。というのも、これらの色聚は、非常に微細なのですから。ただ止禅だけを修行した場合は、これらの色聚を理解する事も照見する事も、非常に困難です。もし確実に理解したいと思うならば、あなたは修行に打ち込んで、生滅随観智に到達するべきです。これが、真正の科学的方法です。(完)

#036-150720

問4-11 すでに身体の32の部分を識別できる修行者は、目を開けて他人の身体内部の32の部分を見る事ができますか?

答4-11 これは状況によります。初心者は、目を開けてみる場合、身体の外部をのみ、見る事ができます。観智の目を用いた時のみ、内部を見る事ができます。もしあなたが科学的にこの事を理解したいのであれば、あなたは自分の観智を用いてチャレンジしてみて下さい。

ただ、過去の修行のおかげで、ある大長老(Mahāthera)は、目を開けて他人の身体の骨格を見る事ができましたが、それは摩訶提舎(Mahā Tissa)です。彼は白骨観に精通しており、常に内部と外部の白骨を不浄として観察して初禅に到達しました。そして、常にこのジャーナを基礎にして、観禅(vipassanā)を修行し、名色、名色の因縁、名色の無常・苦・無我の本質を判別していました。これが彼にとっては普段の修行法でした。

ある日、彼が托鉢30の為に外出して、アヌダーラプラからマハーガーマ31まで行きました。途中、彼は一人の女性に会い、彼女は長老の注意を引こうと、笑い声を上げました。彼は笑い声を聞き、その笑い声の元に注意を向けた所、女性の歯が見えました。彼は即刻歯を対象として白骨観の修行をしました。それ以前から持続していた修行の為、彼が見たのは女性の全身の骨格で、「女性」は見えず、見たのはただ白骨のみでした。その後、彼は自分の内部の骨格に注意を向けて、初禅に到達したのです。彼は初禅を基礎に、すばやく観禅(vipassanā)を修行しました。こうして、彼は道端で立ったままの姿勢で、阿羅漢果を証悟したのです。

元々、その女性は、夫と喧嘩をして、実家に帰ろうとしていた時、路上で摩訶提舎大長老に出会ったのです。彼女の夫が彼女の後を追いかけてきて、同じく路上で摩訶提舎大長老と会いました。そして、彼は大長老に「尊者、あなたは一人の女性がこの道を通ったのをご覧になりましたか?」と尋ねました。大長老は「おお、施主32(dāyaka)よ、私は男性も女性も見ません。私はただ一副の白骨が道を歩いているのを見ました」と答えました。この話は≪清浄道論≫中の説戒品に記載されています。

これは一つの例です。摩訶提舎大長老のように徹底的に白骨観を修行する人は誰でも、目を開けて他人の骨格を見る事ができます。

一人の衆生の眼浄色と有分意界を識別します。一群の色聚の色彩がこの二つの門の中に出現した時、眼門心路過程と意門心路過程を識別します。このように内部と外部とを交代しながら、何度も何度も、多数回修行します。その他の五門につていも、同様の方法で修行します。

もしあなたがジャーナに到達する事ができたなら、あなたもジャーナ意門心路過程を識別する事ができます。もしあなたにジャーナの経験がないのならば、このように修行する事はできません。

このように、あなたは内部と外部の色法を識別し、あなたは遍及び無辺の宇宙の色法見えてくるまで、識別の範囲を徐々に広げていきます。あなたは、内部と外部の名法の識別もしなければなりません。あなたは遍及び宇宙の名法が見えてくるまで、識別の範囲を徐々に広げていきます。最後に、あなたは遍と無辺の宇宙の名法と色法を同時に識別できるようにならなければなりません。

その後で、あなたは智慧でもって、すべての名法と色法の定義をします:遍と宇宙全体(において)、衆生、男性又は女性というのは見えず、ただ名と色があるのみです。名業処(nāma-kammaṭṭhāna)の講義はこれで終わります。

次回の講義では、観禅(vipassanā)の修行をどのように継続させるのかを説明します。観禅(vipassanā)の次の段階:縁起(paṭiccasamuppāda)の識別について、お話します。(完)

 (訳文責Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中は、ブログの更新を休みます)