Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

パオ・セヤドー問答集~#038>問答(五)問5-1(後半)

 

#038-150803

三、神通の利益(abhiññā‐nisaṁsa):もし比丘が世間的な神通、たとえば、宿命通(pubbenivāsānussati- abhiññā)、天眼通(dibbacakkhu)、天耳通(dibba-sota)他心通(paracitta-vijānana)、如意通(iddhividha):空を飛べる等々を有したいと思うならば、彼は14種類の方式によって十遍禅と八定(samāpatti)を展開しなければなりません。このような状況の下で、十遍禅と八定は各種の神通を得るための基礎となります。これが禅定の三番目の利益です。

四、増上生の利益(bhavavisesavahā-nisaṁsa):梵天界に生まれる果報を得る事ができます。もし人が死後に梵天界に生まれたいと思うならば、彼は必ずジャーナの修行、たとえば:十遍禅、安般念禅、慈心禅をしなければなりません。ジャーナの力で、死後彼はある層の梵天に生まれます。これが禅定の四番目の利益です。ただし、彼のジャーナは、必ず、死亡の刹那まで持続していなければなりません。もし死に臨んで彼のジャーナが「減退」したならば、梵天界に生まれる事はできません。

五、寂滅の利益(nirodhā-nisaṁsa):滅尽定(nirodha-samāpatti)を成就する利益。もし阿那含(anāgāmi)または阿羅漢が滅尽定に入りたいと思うならば、彼らは継続して、八種類の定のジャーナ法に対して観禅(vipassanā)を修行しなければなりません。滅尽定とは:心(citta)、心所(cetasika)と心生色法(cittaja-rūpa)の暫定的停止を指します。ここでいう「暫定的」とは、一日、七日間など等、彼らが滅尽定に入る前に下した決心と誓願(adhiṭṭhāna)を言います。

阿那含と阿羅漢は、名色とその因縁の生滅をとどまる事無く見続けるかまたはただ、壊滅をのみ見続けます。彼らは、睡眠の時間を除いて、一日中、一昼夜、何日も、何か月も、何年もこれらの生滅の過程を見続けます。そうであるから、時には、彼らはこれらの壊滅現象(bhaṅga-dhamma)をこれ以上見たくないと思います、というのも、彼らはつまらないという感覚や飽き飽きした感じを覚えるからです。しかし、彼らの寿命がいまだ終了していないがために、般涅槃の時はまだ来ないのです。このように、彼らはこれらの壊滅現象を見続けたくないと思うとき、彼らは滅尽定に入ります。

どうしてこれらの壊滅現象を見る事になるのか?通常、その種の境地に到達すると、彼らはすでに禅支と対立する五蓋を滅し終わっているので、彼らには充分な定力があるのです。専注する心は如実に究竟法(paramattha-dhamma)を照見する事ができ、故に彼らはずっと壊滅現象を見続ける事になります。これは究竟名色法の本質です。しかしながら、滅尽定に入れば――たとえば七日間とか――この七日間の内では、彼らは壊滅現象を見る事はありません。というのも、壊滅現象を認知する事の出来るすべての心と心所はもはや停止しているからです。

もし滅尽定に入りたいならば、まず先に初禅に入る必要があります。初禅から出定した後、初禅の名法を無常・苦または無我と判別する必要があります。その後に同様の方法で第二禅から識無辺処禅(viññāṇancāyatana-jhāna)まで修行します。次に無所有処禅(ākiñcaññāyatana-jhāna)に入ります。無所有処禅から出定した後、彼らは必ず四つの誓願を発しなければなりません:

  1. 特定の時間入定した後、滅尽定から出る事:たとえば七日間。
  2. 仏陀が彼らに会いたい時、滅尽定から出てくる。仏陀が御在世の時だけ、この誓願をする事が出来る。
  3. サンガが彼らに会いたい時、滅尽定から出る。
  4. 彼らの日常用品がいかなる状況によっても損壊する事がない。例えば火災。この四つの誓願を発した後、彼らは非想非非想処定(nevasaññā-nāsaññāyatana-jhāna)に入ります。非想非非想処定に入って後の、一個または二個の心識刹那の後、彼らはすぐに滅尽定に入ります、たとえば七日間等、事前に決めていた時間まで。定の中では、彼らは如何なる事物をも見る事がないのですが、それは心と心所がすでに停止しているからです。これが禅定の五番目の利益です。

まぎれもなく、八定は名色及びその因縁を識別する基礎となるものですが、しかし八定自身もまた名法であり、それらは名法の範囲内に含まれるものです。故に、もし修行者がすでに徹底的に八定に含まれる名色及びその因縁の無常・苦・無我を識別して行捨智(saṅkhārupekkhā-ñāṇa)に到達した場合、彼は識別の範囲をただ八定の中の一つのジャーナ法に限って識別するようにすることができる。これは止禅と観禅(vipassanā)の「双修」(yuganaddha)であって、それはちょうど二頭の牛でもって一輌の車を引いているようなものなのです。このような修行をしている時に涅槃を証悟する事もできます。これは、道果と涅槃を証悟するもう一つの助縁となります。

(翻訳文責Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。