Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。

パオ・セヤドー問答集~#040>問答(五)問5-3

#040-150805

問5-3 生死輪廻(saṁsāra)は無始無終で、衆生は無量で無辺です。故に、かつて我々の母親であった衆生もまた無量で無辺です。我々は、一切の衆生が我々の母親であったことがあるのを思惟する事を通して、如何にして、慈心観の修行をするのが良いですか?我々は、一切の衆生がかつて我々の母親であった事を思惟することによって慈心禅(metta-jhāna)に到達する事ができますか?

答5-3 慈心観は過去や未来とは関係がありません。それはただ現在に関係するだけです。故に、もし、すでに亡くなっている人に慈愛を届けようとしても、我々はジャーナに到達する事はできません。果てしない生死輪廻の中で、自分の父親または母親でなかった衆生は一人としていませんが、しかし、慈心観と果てしない生死輪廻には、相関関係はありません。

《慈愛経 Mettā Sutta》の中で、仏陀は「Māṭā yathā niyaṁputtamāyusā ekaputtamanurakkhe;evampi sabba-bhūtesu、mānasaṁ bhāvaye aparimānaṁ」――ただ独り子の母親のみが、完全な慈愛でもってこの独り子を守るであろう。たとえ、彼女自身の命を犠牲にしてまでも。故に、比丘は母親の態度で以て、一切の衆生に慈愛を届けなさい。これが仏陀の教えです。故に、ただ、現在の対象だけが慈心禅(mettā-jyāna)を生じさせます。過去又は未来の対象では、不可能です。この人はかつては我々の母親であったとか、あの人は父親であったとか、考える必要はなく、ただ「願わくばこの人が幸福で楽しくありますように」という意念で慈愛を広げれば、それでジャーナを生じさせる事ができます。衆生を、かつての母親、父親であると思惟する態度だけでは、ジャーナを生じさせる事はできません。(完)

(翻訳文責Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中は、ブログの更新を休みます)。