私は子供の頃から仏陀の教えが好きだったけれど、日本の大乗がどうもに理解できないでいました。子供心に好きだったのは、禅宗の山田無文さん、長じては中村元さん。感銘を受けたのはこのお二人くらい、一番好きな経典は「雪山童子」でした。
25歳で大乗非仏説(富永仲基)を知ってからは、日本の大乗系の本を読むのをやめてしまいました(幸い、台湾にいながら大乗に反旗を翻した僧侶~釈従信師の本に出会えたので、もっぱら彼の本を読んで溜飲を下げていました。そして、二人の息子の手が離れたら、源流を辿る為に、仏陀が生まれたインドに留学したい思っていたのだけれど・・・)。
先日、真言宗の僧侶の方とお話ししていて「ご本尊が37並んだ曼荼羅は、実は初期仏教で言われている37菩提分を図像化したもの」と聞いて、さもありなんと思いました。
法華経の中に書かれている <7つの宝もの> は、7 覚支の事ではないかと睨んでいるのですが、私は仏典文献学も経典研究もした事がないので、これは私の勝手な思い込みかも知れません。
37菩提分~四念処の4、四正断の4、四如意足の4、五根の5、五力の5、七覚支の7、八正道の8。
修行の方法又は修行に必要な資質、合計37個という訳です。
迷ったら原点に帰ろう。
聖者や仏教学者の教えを崇拝するのではなくて、自分の頭で考え、自分の足で実践しませんか。
追補:現在は、大乗に対し、特に批判的と言う事はありません。これから通史を勉強しようと思っていますが、仏陀の教えが、それぞれの国で変化しながら、現地に溶け込んで行ったのだと思います。私は戒・定・慧の三学、無常・苦・無我の三法印の教えが好きですね。何よりシンプルで真理を突いているから。