Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#042~#045>問答(五)問5-5、5-6、5-7、5-8

#042-150807

問5-5 解脱道(vimutti)と菩薩道を同時に修行する事はできますか?もし可能であるなら、どのような方法ですか?

答5-5 解脱(vimutti)とは、煩悩または生死輪廻から離脱する事を言います。故に、菩薩が仏陀に成る事を証悟する時、彼は彼の般涅槃の後、生死輪廻から離脱する事になります。あなたが修行に精進して、阿羅漢果を証悟したなら、般涅槃の後、あなたは弟子の身分で生死輪廻から離脱する事ができます。

しかしながら、一人の人間が、仏陀と同時に弟子である事はできません。人は必ず、その中の一つを選択しなければなりません。ただ、この両者とも、阿羅漢果を証悟した後、生死輪廻からの離脱を得る事ができます。阿羅漢果を証悟する道は、解脱へ向かう最後の道(vimuttimagga 解脱道)です。

#043-150807

問5-6 禅師の教える修行方法は、解脱道にのみ適応しますか、それとも菩薩道にも適応しますか?

答5-6 両方の道に適応します。以前の問答の中で、私はシャカムニ仏が過去世において菩薩道を行じていた時、9つの人生で出家して比丘になった事を説明しました。もし我々が彼の9世中の修行を観察するならば、ただ三学:戒行(sīla)、禅定(samādhi)と智慧(pañña)のみである事を発見する事ができます。菩薩は八定、五神通を修行できますし、観禅(vipassanā)を修行して行捨智に到達する事ができます。

今あなたもまた戒行を基礎にして止観を修行しています。あなたが三学を修行して行捨智に到達した時、二つの道の内の一つを選択する事ができます:もしあなたが解脱を得たいと思うならば、そのまま涅槃するまで前進する道を選べます;もしあなたが菩薩になりたいならば、菩薩道を選べばよいので、何ら問題はありません。

#044-150807

問5-7 阿羅漢が般涅槃する前、すべての善悪業が熟しますか?

答5-7 すべてではありません。ある種の善悪業が熟した時、それらは果報をうみます。いまだ熟していない善悪業はなんらの果報も生じる事はできません。それらは無効業(ahosi-kamma)、果報を結べない業です。たとえば、モッガラーナ尊者は、過去のある世でなした悪業によって、彼が般涅槃する前に、悪報が生じました。過去のある世の人生で、モッガラーナ尊者は盲目の両親を殺そうとしましたが、しかし、両親は死ぬことはありませんでした。この悪業によって、彼は地獄で何万年もの苦痛を味わいました。地獄を離れてから、約200世の間、彼は人生において、いつも頭を殴られて死にました。彼の最後の人生も同様で、彼の全身の一つ一つの骨は打ち砕かれました、頭蓋も含めて。どうしてか?それは彼のあの悪業がすでに熟し、まさに果報として結実しようとしていたからです。しかし、いくつかの悪業や善業は、いまだ熟さないならば、それらは如何なる果報も生み出す事はできず、それらはただ業としての名前があるだけです。

#045-150807

問5-8 仏陀は証悟して成道した後、「一切の衆生は本来、みな如来の智慧と徳相を持っている」と言ったのでしょうか?

答5-8 あなたは今、シャカムニ仏はすでに証悟し、成道したと認めました。あなたは仏陀成道の後、備えていたあれらの如来の徳相は、一切の衆生の中にも存在しているかどうかよく思惟していて下さい、特にあなた自身。あなたは如来の徳相の中の何か一つでも持っていますか?

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中は、ブログの更新を休みます)。