Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#46、#47、#48>問答(五)問5-9、5-10、5-11

#046-150808

問5-9 阿羅漢にとって、自己に内在する五蘊への空観(suññata)と、外部にある非生物への空観は同じですか(訳者注=同じように如実知見しますか?)。

答5-9 自己の内在する五蘊への空観と外部にある非生物への空観は同じです。

涅槃が空(suññata)という名前を得たのは、道が原因です。修行者が各種の行法(saṅkhāra-dhamma)を無我として覚悟・照見する時に、涅槃を証悟する事ができたならば、彼の道智は空解脱(suññatā-vimokkha)と称します。こういう事で、涅槃に到達した道を空解脱といい、故に、涅槃という対象もまた空と称します。ここで言う空解脱の意味は:諸行無我(ママ)の本質を透視する事によって、煩悩から抜け出す事をいいます。

#047-150808

問5-10 すべての経典は、仏陀お一人で述べられたのでしょうか?

答5-10 三蔵の中の大部分の経は、仏陀が述べたものですが、ある種の経は、大弟子が述べたと言われています:例えば、シャーリプトラ尊者、マハーカッチャヤーナ尊者とアーナンダ尊者です。しかし弟子の述べた経と仏陀の述べた経は、同じ意味を持っています。この事は、いくつかの経の中で非常に明らかです。当時仏陀は「善哉(sādhu・・・)と言うことによって、その経を認可したからです。たとえば《マハーカッチャヤーナ賢善一夜経》等です。

#048-150808

問5-11 我々は定の中で仏陀に会う事はできませんが、神通力で仏陀にお会いし、かつ仏陀と仏法について論議する事はできますか?

答5-11 できません。神通の中に宿命通(pubbenivāsānussati)というのがありますが、もし修行者にこの種の神通があり、かつ、かつて過去世において仏陀に会った事があるならば、過去の経験に照らして、仏陀にお会いする事はできますが、新たな体験ではありません。もしあなたが過去世において、仏陀と仏法について論議した事があるならば、はやり昔の問答(を追体験しているの)であり、新しい回答を得られる事はありません。これが宿命通です。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中は、ブログの更新を休みます)。