Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

是誰庵のひとやすみ~15>投資マンション

先日、親戚筋の女性から電話があった。

話の内容は「投資型マンションを買いたい。ついてはあなたの住んでいる田舎のアパート、マンションの賃貸料の相場は幾らくらいか?」というものだった。夫80歳近く、妻70歳近く。

私はめまいがしてしまった。

節税のために、子供に遺産として投資型マンションを残す?それなら子供に、本人が気に入った物件を選んでもらったほうがいい。

人口が減少している今、もし不良マンションを掴んで入居者が見込めなかったら、ローンだけが残るし、第一、入居した店子がクレイマーだったら、この年で、大家(自分)、不動産屋(管理者)と店子の間を右往左往しなければならなくなるのに・・・。

仏陀は言っている「すでに身体も心も自分のものではないのに、牛や馬、田畑の数を数えて何になるのだろうか?」と。

ここで、身体と心が自分のものではない、という事がどういう事かが分からなければ、仏陀の教えは理解できない。

我々内外の存在は、無我(心と身体に自性がない)であり、非我(見られる者は我ではない)であり、認識主体は認識主体を認識できない、という当時のインドの常識が分かっていなければ、仏陀の教えは分からない。

私が今住んでいる、Y 盆地の田舎家は、次男が気に入ってくれているので、将来は彼が自宅に使うか別荘にするか何とか方向性が見えてきたので、私としては一安心なのだけれど、年老いて投資型マンションを買おうとする人の気持ちが分からない(子供がおねだりしたなら、この批判は当たらないけれど)。