Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー問答集~#061~#064>問答(七)問7-1~問7-4

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#061-150814

7-1 想(saññā)と想蘊(saññā-khandha)の間、受(vedanā)と受蘊(vedanā-khandha)の間には、どのような違いがありますか?

7-1 11種類の想(saññā)を合わせて想蘊(saññā-khandha)といいます。11種類の受(vedanā)は、合わせて受蘊(vedanā-khandha)と言います。どのような11か?過去、現在、未来、内、外、粗い、細かい、劣っている、優れている、近い、遠い。この11種類の想を合わせて想蘊といいます。同様に、11種類の受を合わせると受蘊になります。これらの定義は≪相応部・蘊品・蘊経 Khandha Sutta、Khandha Vagga、Saṁyutta Nikāya≫を参照してください。すべての五蘊は、同様の方法で理解してください。

#062-150814

7-2 記憶、推理と創造はどの心所に属しますか?それらは五蘊の一部分ですが、しかし、どうしてそれらを苦(dukkha)というのですか?

7-2 記憶とは何ですか?もしあなたが、過去、現在及び未来の究竟名色法(paramattha-nāmarūpa)とそれらの因縁を識別でき、かつそれらの無常(anicca)・苦(dukkha)と無我(anatta)を識別できるならば、これを正念(sammā-sati)といい、観智と相応する念です。言い換えれば、この念は、33種類の名法と相応します。それらは合わせると四種類の名蘊(nāma-khandha)になります。同様に、仏、法、僧及び過去に行った善行を覚えているのも正念(sammatta-sati)です。

過去の行為を今思い出して、善法(kusala-dhamma)を生じえるならば、過去を追憶する行為の念もまた、正念です。しかし、もし過去の良いか又は悪い行為を思い出して不善法(akusala-dhamma)が生じるならば、それらを追憶する念は正念ではなく、我々はそれを不善想(akusala-saññā)と言い、それは不善法と相応する想です。それらも四種類の名蘊に属します。

これら善なる名蘊と不善なる名蘊は皆、無常です。というのも、それらは、生起するやいなや、即刻消滅するからです。それらは絶え間なく生滅しており、故にそれらは苦なのです。

#063-150814

問7-3 「対象を縁に取る」のは、どの心所に属しますか?

答7-3 すべての心(citta)と心所(cetasika)は対象を縁として取る事が出来ます。もし対象がなければ、それらは生起する事が出来ません。もし対象(ārammaṇa)がなければ、主体(ārammaṇika)は生じる事が出来ないのです。ここでいう主体(ārammaṇika)とは:対象を縁に取る事の出来る現象又は法を言います。言い換えれば、対象を認知する事の出来る法の事です。もしそらに認知される対象がなければ、これらの認知対象の法も生起しないのです。故に、異なる組み合わせの心と心所は、異なる対象を縁として取る事になります。全部で89種類の心(citta)と52種類の心所(cetasika)があり、それらは各々、個別の対象を縁として取ります。たとえば、道果の心と心所(magga-citta-cetasika and phala-citta-cetasika)は涅槃を縁として対象を取ります。安般念ジャーナの心と心所は、安般念似相を縁として対象を取ります。地遍ジャーナの心と心所は地遍似相を縁として対象を取ります:欲界心(kāmāvacara-citta)は善または悪の異なる対象を縁として、取ります。もし詳細に理解したいのであれば、あなたは≪アビダンマ Abhidhamma≫を解読する必要があります。もっと正確に言えば、あなたは≪アビダンマッタサンガハ Abhidhammattha-Saṅgaha≫の所縁(Arammaṇa)の部分を解読する必要があります。

#064-150814

問7-4 サンガの為に仕事(ボランティア等)をした場合、自分の修行に影響しますか?人によって異なりますか?修行者は仕事の影響を受けないで、仕事の後でも、ある程度の定力に到達する事はできますか?

答7-4 仏陀は多くのお経の中で、下記の行為を行う比丘を叱責しています。

  1. Kammārāmatā:仕事が好きでやめない。
  2. Bhassārāmatā:会話が好きでやめない。
  3. Niddārāmatā:寝てばかりいる。
  4. Saṅghanikārāmatā:友達と交流してばかり。
  5. Indriyesu aguttadvāratā:諸々の根門1などを守らない。
  6. Bhojane\amattaññutā:飲食を節制しない
  7. Jāgariye ananuyuttā:適切な睡眠をとって止観の修行に励まない。
  8. Kusita or kosajja:止観の修行に怠慢である。このようであるから、サンガ又は自分の為の仕事であっても、あなたはなるべく早くそれを完成させ、その後で、平静な心であなたの修行に戻りなさい。もし過度に仕事に耽溺するならば、それは修行の障礙になるでしょう。この種の耽溺は、良好な定力を生むことはないのです。というのも、修行の対象に対する強くて力のある正念は、このような耽溺からは生じないからです。(完)

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。