Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー問答集~#119~122>問答(九)問9-7~9-10。4篇。

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#119-150901

問9-7 「禅宗」の頓悟の法門は、「明心見性」に達して、大いなる円満な解決を得る事ができます。またある人は、禅の修行をしなくても、明心見性の証悟は出来る、と言います。禅の修行をしなくても「明心見性」を頓悟できる法門について、禅師はどう思いますか?

答9-7 私は北伝仏教を知りません。故に、私はあなたの言う「頓悟」が何を指すのかを、知りません。

しかし、私はあなたに、南伝の教えを説明しましょう。南伝仏教によると、人は四種類に分ける事ができます:

  1. 敏知者(uggahaṭitaññū)――短くて簡潔な仏法を聞いて、すぐに証悟する人。
  2. 広演知者(vipañcitaññū)――詳細な仏法の説明を聞いた後、証悟する人。
  3. 被引導者(neyya)――仏法を聞いただけでは悟れず、仏法の修行に精進して、初めて悟れる人。
  4. 文字為最者(padaparama)――この一生の中で、どれほど精進しても悟れない人。

 

現代は、上二種類の人は、世間に存在しておらず、下の二種類の人だけが残っています。三番目の人(被引導者)は、段階的に止禅と観禅(vipassanā)を修行して、初めて証悟する事ができます:彼は、強くて力のある禅定を育成した後、必ず、すべての色法を照見し、その後に、すべての名法を照見しなければなりません。これが明心の初歩的な段階です。彼が更に一歩進んで縁起の修行者をする時、更に深く心の自性を理解します。彼が観禅(vipassanā)を修行する時、彼の理解と悟りは、更に一層深まります。彼が阿羅漢果を証悟した時、明心の頂点に達します。

#120-150901

問9-8 禅師、行禅(経行)はどのようにするべきですか?たとえば、歩くときはどのような速度で――ゆっくり、ほどほど、又は速くの内、どれが一番良いですか?行禅の時、我々は何を「想え」ば良いですか?私のような初心者が、どのようにすれば、定力を深められるか、いくつか方針を解説して頂けますか?

答9-8 四種類の明覚があります(sampajana):

  1. 有義明覚(sãtthaka sampajana)――何が利益で、何が不利益かを明確に知っている事。
  2. 適宜明覚(sappaya sampajana)――何が適宜で、何が適宜でないか、明確に知っている事。
  3. 行処明覚――(gocara sampajana)――いかなる姿勢においても、自分が何の修行をしているかを、明確に知っている事。
  4. 不迷惑明覚(asammoha sampajana)――観智でもって、究竟の名色法を理解している事。これは観禅(vipassanā)です。

 

最初の二種類は、禅の修行ではありません。第四番目は、観禅(vipassanā)です。故に、あなたが止禅を修行しているのならば、三番目の明覚を修行している事になります。あなたは、一切の姿勢、すなわち、歩く、立ち止まる、座る、横になるという姿勢の中において、禅の法門に専注しなければなりません。もし、あなたが、自己の最大の努力の下、一切の姿勢の中において、禅の法門を専注する事が出来たならば、あなたの定力は進歩します。

《清浄道論》の中では、定覚支を高めるために役に立つ 11の事柄が述べられています。

  1. 清潔を保つ――あなたは、あなたの身体、爪、衣服などを清潔に保つこと。
  2. 相において巧み――あなたは、自分が修行に取り組んでいる法門の予備相、取相及び似相を知る事について、巧みである事。たとえば、安般念の禅相、地遍の禅相等。
  3. 五根のバランス。
  4. 抑制心――あなたの択法覚支、精進覚支と喜覚支が強すぎる時、あなたは、あなたの心を抑制し、かつ、軽安覚支、定覚支と捨覚支を展開する事に重点を置きます。
  5. 策勵心――あなたの軽安覚支、定覚支と捨覚支が強すぎる時、あなたはあなたの心を抑制して、かつ、択法覚支、精進覚支と喜覚支を展開する事に重点を置きます。
  6. 確信の心と、懼れへの智でもって、元気のない心を奮い立たせる。
  7. 平等なる捨心で因果応報の事柄を達観する。
  8. 心が散乱している人とは、付き合わない。
  9. 常に、禅定のある人と付き合う。
  10. 禅定と解脱の利益を思惟する。
  11. 心を禅定の修行に向ける。

このように、あなたは上述の、これらの方法を実践する事によって、自己の定力を高める事ができます。

#121-150901

問9-9 釈迦牟尼仏は、阿羅漢の為に授記をしました:(あなたは)幾劫の後で、どこかの地で仏陀になるであろう、と。しかし、阿羅漢はすでに煩悩を断っているため、二度と後有を受けず、この期の寿命が尽きたならば、般涅槃に入ります。仏陀の授記が原因で、人間界に生まれてくる事、また、彼の心の中には、煩悩・愛着がないので、心身や財物を捨てて、衆生に布施する事が出来るという等のことはありますか?諸々の波羅蜜が熟した時、菩薩から仏陀になる、と。もし違うという事であれば、どのように考えればいいですか?

答9-9 南伝仏教では、阿羅漢が仏陀から授記を受けて、未来において仏陀になるという記載はありません。

ある一つの有名な話では、大勢の阿羅漢が阿羅漢果を証悟した時、仏陀に報告した話があります:

「私の生は尽きました。梵行は成りました。成すべきことは成しました。もうするべき事は、何もありません」

この言葉から、我々は、阿羅漢は死後、二度と生まれてこないという事が分かります。仏陀も死後、二度と生まれてくる事はありません。でなければ、彼らが言った事は嘘になり、彼らは嘘つきという事になります。しかし、仏陀と阿羅漢は、嘘をつく事はありえません。彼らがこういう話をするという事は、彼らがすでに徹底的に生命への執着を含むすべての煩悩を滅しており、すでに、未来において生死を生じさせえる、すべての業力を砕きつぶしており、彼らは二度と生死輪廻する事はない。これは固定の法則なのです。故に、南伝仏教では、仏陀を含むすべての阿羅漢は、二度とふたたび生まれてくるという事はありません。

#122-150901

問9-10 禅師、以下の質問にお答えください。

  1. 禅支が教える業処の中で、禅の修行と断食を組み合わせるという事はありますか?
  2. 断食は禅の修行に利益がありますか?それとも問題がありますか?
  3. 上座部の経典で、仏陀の声聞弟子の誰かが、断食で道果を証悟した、という記載はありますか?
  4. ある修行者(法師)が、現在断食中で、聞くところによると彼女は、断食を、今回のリトリートが終わるまでやる、との事です。しかし、この種の、長期間の断食が、心身に悪い影響を与える事はないのでしょうか?

答9-10 仏陀が成道した後に述べた第一番目の経において、仏陀は、二つの極端がある、と述べています:一つは、感官の享楽に埋没する事、一つは、自我を苛む苦行です。この二つの道は、間違っています。感官の享楽に埋没するのは、涅槃を証悟する道ではありません。これは下卑た行為であり、kãmasukhallikanuyoga(欲楽への惑溺)と言います。この種の行為は、下賤であり、田舎者の行為であり、凡夫の行為であり、聖人の行為でなく、真の利益を得る事はありません。また、心の中の煩悩が起きないようにする為に、色々な方式で、自己を苛む事、たとえば、身体を火の前に晒したり、太陽の下に晒したり、長く手を挙げたままにするとか、これらもまた涅槃へ向かう道ではありません。これももう一つ別な、下賤な行為であり、attakilamathanuyogo(自我を苛む苦行)と言います。この種の行為もまた、真の利益を得る事はありません。そして、断食は、この種の行為に属していて、仏陀はこの種の行為を、賞賛しませんでした。

仏陀は常に、我々に、上記の二つの極端に偏る事無く、中道を修行するように忠告しました。律蔵の中で、仏陀は一つの戒を制定しました。比丘、比丘尼は、理性でもって、鉢で食事する正確な目的を省察する必要がある、というものです:「私がこの食事を頂くのは、子供のように食事を楽しむ為ではない;身体の壮健に執着するが為ではない;身体の美観の為ではない;皮膚を滑らかにする為ではない。私がこれらの食物を頂くのは、身体の活力を維持する為である;飢餓の苦悩を避ける為である;梵行の修行に益する為である」。

これが、あなたが食物に対して持つべき正確な態度であり、仏陀もまた、このような態度を保持していました。仏陀は、悟りを開き、果を証悟する前、6年間の苦行を行いましたが、その中の一つは、毎日たった一粒のご飯を食べるだけ、というのがありました。その後、彼はこれは利益のない行為だと理解し、故に苦行を放棄し、普通に食事する事によって、体力を回復したのです。感官の享楽と無益な苦行という二つの極端を放棄した後、彼は中道を修行し、ほどなく円満なる正覚を成就しました。(完)

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

 

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます)。