Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー問答集~#174~178>問答(13)問13-6~問13-9。5篇。

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#174-150908

問13-6 一人の凡夫の比丘が長期的な、かつ極度に苦痛な疾病を患っており、また薬石効無き時、どのように如理作意を実践して、苦痛を和らげる、または忍従すればよいですか?何かよい修行方法がありますか?たとえば、この痛みを利用して道果を証悟する、とか。

答13-6 我々は知っておかねばなりません:仏陀でさえも、病気を免れる事はありませんでした。仏陀が般涅槃する前の10か月の間、彼は非常に重い背中の痛みを感じ、それは般涅槃まで続きました。仏陀でさえそうであるのに、我々が病の苦しみから逃れる事ができるでしょうか?我々が、長期間の、苦痛で、治療方法のない疾病にかかったならば、その病に怒ったり、天を憂い人を呪ったりしても、何の役にも立ちません。我々ができる事は、ただ、病苦に耐え、痛みと共に生き、生きている間の時間を利用して、仏陀の修行法に精進する事です。実際、この世間では、疾病を完璧に治癒してくれる医師はいません;医師はただ一時的に疾病を治すだけです。仏陀は:「五蘊こそが病い」と言っています。という事は、五蘊があれば、病気になる、という事です。もし、本当に完全に病気の苦しみを根治したいのであれば、あなたは修行に努力して、涅槃を証悟しなければなりません。涅槃には名色はなく、当然、病気もありません。

病気の比丘が、病いによる痛みから生じる苦受を対象にして観禅(vipassanā)の修行をする事ができれば、これを受念処と言います。しかしながら、道・果及び涅槃を証悟したいのであれば、感受を観照するだけでは足りず、その他の四種類の蘊、すなわち、色蘊、想蘊、行蘊及び識蘊も観照しなければなりません。彼はまた五蘊の因を観照し、その後に、五蘊及びそれらの因が無常・苦・無我である事も、観照しなければなりません。このように修行して、彼の観智が熟した時には、道・果及び涅槃を証悟する事ができるでしょう。

#175-150908

問13-7 緬甸(ミャンマー)の南伝仏教は、還俗した比丘が再度サンガに入ってくる事に対して、どのように対処しますか?サンガはどのようにすれば、法と律に反しないですか?

答13-7 南伝仏教の戒律では、還俗した人が、もう一度出家して、戒を受けて、比丘になる事を禁止してはいません。仏陀の時代、チッタ(Citta)という名の比丘が、6回出家して、6回還俗しました。7回目にまた出家して戒を受け比丘になりましたが、今回彼は還俗しませんでした。というのも、彼は阿羅漢果を証悟したからです。緬甸とタイでは、多くの一時出家の比丘がいますが、彼らは通常、何日かまたは何か月か出家するだけです。これは二つの国の仏教的伝統です。しかしながら、仏陀の時代には、いわゆる「一時出家」という事柄はありませんでした。我々は、一時的に出家して比丘になるという、こういう作風を推奨するべきではありません。ただ、こういう伝統に対して、私自身は、改変する事はできません。

#177-150908

問13-8 大龍長老の物語の中で、神通によって出してきた憤怒の大象は、人に危害を加えますか?長老は神通で大象を出せるならば、神通でもって大象を消す事もできたのではないですか?その時、どうしてこの事に気が付かなかったのでしょうか?人に懼れの心が生じる時、神通力は同時に存在できないのでしょうか?

答13-8 神通力でだしてきた大象は、人に危害を加える事はありません。その時、大龍長老は、自分の神通力で大象を消すことができましたが、彼はそうしませんでした。彼は忘れたのです。懼れの心と、神通心は、異なる心路過程の中に生起しますから、二つは同時に存在する事はできません。

#178-150908

問13-9 菩薩行を実践するには忍辱波羅蜜を修しなければなりません。解脱道を修する行者もまた忍辱波羅蜜を修行する必要がありますか?

答13-9 はい、解脱道を修する行者もまた忍辱波羅蜜を修行する必要がありますし、その他の、9種の波羅蜜も修行しなければなりません。彼は、10波羅蜜を相当の程度修行して後、阿羅漢果を証悟するに足る程に、これらの波羅蜜が十分強くなるように実践しなければなりません。しかしながら、彼の波羅蜜を菩薩と比べてはなりません。菩薩の波羅蜜は遥かに遠く、阿羅漢の波羅蜜を超えています。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。