Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#179>問答(13)問13-10。1篇。

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#179-150910

問13-10 リトリート合宿の間、修行者は「解脱道」に専念しています。禅師はなぜ「菩薩道」の法話をするのですか?何か特別な思いでもあるのですか?

答13-10 北伝の法師から、私に菩薩道を説いてほしいという勧めがあり、私も南伝の教えを説明して、菩薩道を修行したいと思っている方々の、お役に立てたらと思いました。

我々は、禅の修行を、ただ解脱道を修行しているのだ、とは言えません。というのも、菩薩は、禅の修行をするだけでなく、彼の止禅と観禅(vipassanā)は、非常に高度なレベルにまで達していなければならないからです。あなたは、10波羅蜜の中の一つは、出離波羅蜜である事を思い出して下さい。出離波羅蜜の最高峰は、ジャーナを証する事です。慈波羅蜜と捨波羅蜜は、無辺なる宇宙のすべての衆生を対象にしていて、慈心禅と捨心禅を証した時が最高峰になります。あなたはまた、10波羅蜜の中の一つは智慧波羅蜜であり、行捨智は菩薩が到達しなければならない最高の智慧であり、平等なる捨である事を知っておかねばなりません。もし禅の修行をしないのであれば、菩薩はどのようにして行捨智に到達する事ができるというのでしょうか?

次に、人が禅の修行に精進している時、彼はまさに精進波羅蜜の修行をしているのです。彼は、持戒清浄の基礎の上に立って、強大な忍耐力と決心をもって禅の修行に取り組んでいます。《本生経 Jātaka》の物語から、我々の菩薩は、多くの生の中で、禅の修行、特に慈・悲・喜・捨の四梵住、10遍禅、八定及び五神通を修行した事が分かります。このように、(上記の事柄から)明らかに分かる事は、阿羅漢果を証悟したいと思う人は、禅の修行をしなければならないだけでなく、菩薩もまた、禅の修行をしなければなりません。

(翻訳文責Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中は休筆します。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。