Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー問答集~#264~266>問答(15)問15-55~15-57<仏法疑問編>

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#264-151001

問15-55 禅師に質問します。死亡後の遺体を医学部に献体する事に対して、どのようにお考えですか?次に生まれ変わる時、善道に生まれる方に(よい)影響がありますか?

答15-55 遺体の献体は、一種の弱い善業に当たります。弱い善業であっても、大きな利益があります。というのも、未だ善をおこなう前から、善を行おうとする動機は、善報をもたらすからです。聖典でも“Kusalesu dhammesu cittupādamattampi bahupakāraṁ vadāmi ”――「私は言います。善法について言えば、ただ心の中に思っただけでも、大きな利益があります」と言っています。何かを布施しようとする動機は善なる前思(pubbacetanā)です。一人の人が、布施する前に起こす善なる前思は、たった五分間であっても、心の中には多くの善業を蓄積しています。これらの善業は善報を生じさせます。三種類の思があります。すなわち、業を造る前の思、業を造る時の思、業を造った後の思です。この三種類の思は、業力が熟した時には果報を生じさせる事ができます。

もし一人の人が、いまだ生命に関して執着がありながら、しかし、死後に自分の遺体を献体しようとする善前思が、彼の臨終の時に熟したならば、当該の善業力は彼が来世において善道に生まれる事が出来る作用を起こします。しかしながら、この種の状況が発生するチャンスは非常に少ないです。というのも、この種の善業の力は非常に弱いので、通常は、未来のどこかの世において、ようやく熟するからです。

#265-151001

問い15-56 禅師にお伺いします。ある種の人々は、生まれながらにして陰陽眼があり、鬼道の衆生(亡霊、幽霊等)を見る事ができたり、又、人が亡くなる時、死に行く人が息を吐くだけで、息を吸わないのを見る事ができるそうです。こういう人は、前世で禅の修行をしたのでしょうか?

答15-56 この種の能力は「業生通」と言います。意味は、業力によって生じた特殊な能力だという事です。当該の能力は、彼らが過去生において、禅修行をした事による業によって、生じているものです。または、彼らは近々に、天界又は梵天界から人間界に生まれ変わってきたので、普通の人では見えない物事が見える、という事もありえます。

#266-151001

問15-57 禅師。植物人間には、心がありますか?

答15-57 植物人間は、機械によって生命を維持しているので、いまだ心があるかどうか、判断が難しいです。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṁ me puññaṁ nibbānassa paccayo hotu)。