Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー問答集~#267>問答(15)問15-58<仏法疑問編>

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#267-151002

問15-58 禅師は、亡者に対して行う追善供養について、どう思いますか?効果があるなら、その効果とはどんなものですか?

答15-58 《長部・教授尸伽羅経》(Dīgha Nikāya、Sigālovāda Sutta)の《生聞婆羅門経》(Jāṇussoṇibrāhmaṇa Sutta)の中で、以下のように言われています。

阿羅漢を除く、全ての衆生は、死んだ後、全員五趣の中の一つの趣に生まれ変わります。五趣とは、天趣、人趣、餓鬼趣、畜生趣、地獄趣で、阿修羅は餓鬼趣の中に含まれます。この五趣の中で、ただ餓鬼趣の中の一種類の餓鬼だけが、他人が回向した功徳によって、利益を得る事ができ、他の者にはできません。この種の餓鬼は「他施活命餓鬼」(paradattūpajīvika-peta)といい、すなわち、彼らは、他人の回向の功徳に依存して生活しているということです。

もし人が、死後、天趣または人趣に生まれ変わったならば、彼は自分の過去においてなし、かつ、すでに熟した善業力によって、その趣の楽報を享受します。もし人が死後畜生趣、地獄趣に生まれ変わるか、又は「他施活命餓鬼」以外のその他の種類の餓鬼に生まれ変わるならば、彼は自分の過去においてなし、かつ、すでに熟した悪業力によって苦報を受けます。このような状況の下では、彼は前世の親戚や友人が回向した功徳を全く受け取る事はできません。当該の功徳の利益は、善を行った者が自分で受け取れるだけです。

「他施活命餓鬼」が、他人の回向の功徳を得た後の結果は二種類あります:一種類は餓鬼趣の中で、楽しみを享受する事です;もう一つは、餓鬼趣を抜け出る事です。どの種類の結果を得られるかは、自己の業及び得た功徳の強弱によります。私はここで二つの例を上げてみます。

大昔、ナンダカ(Nandaka)はピンガラ王(King Piṅgala)の将軍でした。彼は断見論者でしたので、死んだ後「他施活命餓鬼」に生まれ変わりました。彼の娘ウッタラ(Uttara)は須陀洹で、托鉢に来た阿羅漢比丘に食物の布施をし、かつ功徳を父親のナンダカに回向しました。「他施活命餓鬼」に生まれ変わっていたナンダカは「善きかな!」(sādhu)と叫んでウッタラの功徳に随喜しました。この善業の力で、彼は餓鬼趣の中において、天界と同じような楽しみを6か月にわたり享受する事ができました。6か月後に、彼の餓鬼趣での寿命が終り、断見における縁で、次に彼は地獄へ行きました。

もう一人の例は、ビンビサーラ王(King Bimbisāra)の過去世の親戚です。彼らはプッサ仏(Phussa Buddha)の時代19において、国王の御台所の料理人であり、プッサ仏と十万人の比丘を供養する為の食物を調理する担当者でした。しかしながら、彼らはそれらの食物を先に食べて楽しみ、その後に仏陀とサンガに供養したのです。この悪業によって、死後、彼らは地獄20に生まれました。地獄で長い時間を過ごした後、彼らは「他施活命餓鬼」に生まれ変わりました。

カクサンダ仏(Kakusandha Buddha)が世間に出現した時、彼らは仏に、何時になったら餓鬼趣から抜け出せるのかと聞きました。カクサンダ仏は、彼らに次の仏――拘那含牟尼仏(Konāgamana Buddha)に聞くようにといいました。彼らはまた長い時間待ち、拘那含牟尼仏が出現した時、また同じ問題を聞きに行きました。拘那含牟尼仏は、次の世に出る仏――カッサパ仏(Kassapa)――に聞いて欲しいといいました。彼らはまた長い時間待ち、カッサバ仏が出現した時、また同じ問題を聞きに行きました。カッサバ仏は彼らに言いました:彼らはゴータマ仏陀(Gotama Buddha)の時代に餓鬼趣から抜け出せるだろう、と。こうして、彼らはゴータマ仏陀の出世をまた長い時間待ちました。

我々の仏陀――ゴータマ仏――の時代、餓鬼である過去世の親戚であったビンビサーラ王は竹林精舎(Veḷuvana)を仏陀とサンガに布施しましたが、しかし、彼はその功徳を彼の親戚に回向する事はしませんでした。これらの餓鬼は、長い間待ち望んでいた功徳を得られなかったので、早く餓鬼趣の苦痛から逃れたい一心で、夜中にビンビサーラ王の御苑で恐ろしい程の大声で哀訴しました。ビンビサーラ王は非常に恐れを感じ、次の日の早朝、仏陀にこの事を聞きに行きました。仏陀は、これらの餓鬼の話を言って聞かせ、かつ彼らを助ける方法を教えました。そんな訳で、ビンビサーラ王は、仏陀とサンガに食物と資具を供養し、かつそれらの功徳を餓鬼たちに回向しました。どうして改に善業を行った後でしか、回向をする事が出来ないのか?それは、善業をなした直後の回向でしか、「他施活命餓鬼」の助けにならないからです。ビンビサーラ王が功徳を彼らに回向した時、これらの餓鬼は非常に喜び、かつ「善きかな」(sādhu)と叫んで随喜を表現しました。彼らの悪業力がちょうど尽きようとしていた時なので、随喜した後、彼らは餓鬼趣を離れて、天趣に生まれ変わりました。

功徳を回向する事は、二種類の結果を生むことを理解した上で、我々は皆、布施、持戒、止禅と観禅(vipassanā)の修行をし、かつこれらの善業の功徳を、すでに亡くなった親戚・友人に回向しなければなりません。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。