Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

パオ・セヤドー問答集~#270>問答(15)問15-61<仏法疑問編>

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#270-151004

問15-61 阿羅漢とは自了漢ですか?(訳者注~自了漢とは、自己の涅槃しか目にない利己的な修行者を指し、北伝仏教が南伝仏教を批判する時に使う常套句)。

答15-61 パーリ語によりますと、阿羅漢――arahant――は、ariとhataという二文字から構成されています。「ari」は敵で、煩悩の事を指します。「hata」は殺す、です。故に「阿羅漢」(arahant)の意味は敵を殺す、すなわち、煩悩を殺すという事です。他者に対して積極的に手助けをするかどうかは、阿羅漢本人の気持ちによります。大多数の阿羅漢は、積極的に他人を支援するのが好きです。たとえば、シャーリプトラ尊者やマハーモッガラーナ尊者など、です。幾人かの阿羅漢は一人で森に住んで、積極的には他人を支援しようとはしませんでした、たとえば、コンニャンダ尊者がそうです。しかしながら、たとえ積極的に他人を支援しない阿羅漢であっても、他人に対して非常に大きな利益をもたらします。彼らが托鉢する時、彼らに食べ物を供養する施主は、非常に優れた功徳を得る事ができます。コンニャンダ尊者は森の中に住んでいて、外に出て托鉢しませんでしたが、しかし、彼に食べ物を供養した大象や天神は、そのおかげで非常に優れた功徳を得る事ができました。

仏陀の聖弟子の中で、阿羅漢が最も高い位階になります。我々が帰依している三宝の内の一つは、仏陀の聖なるサンガです。聖なるサンガは四対の、または八種類の出家聖衆によって構成されています(すなわち、四双八輩)。言い換えれば、四道と四果に到達した四種類の聖者です。この四種類の聖者とは、須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢です。もし聖道と聖果を分けて説明するならば、この四種類は、八種類に分ける事ができます。仏陀は、この四種類または八種類の聖者は世間の福田であると開示していますし、阿羅漢果聖者は彼らの中で最高のものになります。阿羅漢に対して敬意を表すだけでも、又は讃嘆するだけでも、すでに非常に大きな利益を得ている事になります。このようですから、阿羅漢が積極的に他人を支援していないとしても、すでに自然に、世間の衆生を利益している事になりますし、積極的に他人の支援する阿羅漢は言うまでもなく、という事になります。

私は阿羅漢が他人を積極的に支援する例と、衆生の安楽の為に努力している例を上げてみます。パーリ聖典の中の多くの経、たとえば《大象跡喩経》(Mahāhatthipadopama Sutta)は、シャーリプトラ尊者(Ven.Sāriputta)が開示したものです。有る時、彼の一度の説法において、1,000人以上の聴衆が聖果を証悟しました。彼は、禅修行にとって非常に重要な《無礙解道》(Paṭisambhidāmagga)を教授しました。彼が托鉢する時、彼は一戸毎の在家居士の家の前に立って、先に滅尽定(nirodha-samāpatti)に入り、出定後、ようやく食べ物を受け取りました。これは、まさに、施主が崇高で優れた利益を得られるようにするためで、彼はあえてこのようにしていたのです。

マハーモッガラーナ尊者(Ven.Mahāmoggallāna)は、よく天界に行って、天人たちにどのような善業が、彼らをして天界に生まれ変わらせたのかを聞きました。そして、人間界に戻ってきて、彼は、人々にもし人が天に生まれたいのであれば、どのような善業を成すべきかと説きました。時には、彼は地獄にも行き、地獄の衆生に、どのような悪業が、彼らをして地獄に生まれ変わらせたのかと聞きました。そして、人間界に戻ってきて、人々にもし地獄に生まれたくないのであれば、どのような悪業を避けなければならないかを説きました。こうして、彼は多くの人を諸悪から離れさせ、多くの善き事を奉ずるようにさせました。

プンナマンターニプッタ尊者(Ven. Puṇṇa Mantānīputta)は、説法が一番に上手な大弟子でした。彼は多くの場所で仏法を開示しました。彼の説法が巧みであったため、多くの人は聖果を証悟するか、又は確信と修行の方面において、向上が見られました。たとえば、アーナンダ尊者(Ven. Ānanda)は、プンナ尊者の説法を聞いた後に須陀洹を証悟したのです。

マハーカッチャーナ尊者(Ven. Mahākaccāna)は、仏陀の簡潔な開示を詳細に解説できる第一の弟子でした。彼は辺鄙な国で不断に法を弘め、無数の人が法益を得る事ができました。彼は《導論》(Nettippakaraṇa)を開示しましたが、これは蔵経の註釈である著書で、奥深い何部かの経を詳細に解説していて、仏教徒仏陀の教えを理解するのに、非常に大きな助けになるものです。

非常に重要な視点を、我々はしっかりと心に刻みつけておかねばなりません。それは:阿羅漢は仏法を弘めている事と、仏法を継続させている事です。これが、なぜ、仏陀般涅槃の後2500年経た今日にも、我々が、なおも仏法が聞く事が出来、仏法の修行が出来るのかという理由です。このことに関して、私は更に説明を加えたいと思います。

最初の五比丘が《無我相経》を聞いて、阿羅漢果を証悟した後、ヤサ(Yasa)と彼の54人の友人もまた前後して出家し、その後に阿羅漢果を証悟しました。

こうして、仏陀を含めると、世間には61人の阿羅漢が現れました。当時仏陀は、彼らに四方に遊行して、仏法を弘めるように言いました。仏陀は曰く:「

比丘達よ。私は人、天の一切の落とし穴から解脱しました。あなた方も人、天の一切の落とし穴から解脱しました。遊行しなさい、比丘達よ!大衆の利益の為に、大衆の安楽の為に、大衆への憐憫から出発して、諸天と人の利益、幸福と安楽の為に、決して二人で同じ道を歩いてはいけません。比丘達よ。説法は初め善く、中も善く、後ろも善く、義理と文言を備えている仏法は、円満具足の梵行を示します。衆生の中には、塵垢が少ない人がいます。もし、仏法を聞く機会がなければ退廃し、仏法を聞けば了悟する事ができます。」

こうして、阿羅漢たちは、仏陀の望んだ弘法の任務を背負い、どこへ行こうとも、自己の最大の努力を払って、仏法を弘めたのです。

その時から始まって、阿羅漢は弘法の重責を、一代また一代と担い続けてきたのです。仏陀在世の時もこのようであり、仏陀般涅槃後もまたこのようであります。第一次の仏教聖典結集はマハーカッサバ尊者(Ven. Mahākassapa)を先頭とする500人の阿羅漢によって完成されました。第二次の聖典結集はレワタ尊者(Ven.Revata)を先頭に700人の阿羅漢によって完成されました。第三次の聖典結集はモッガリプッタティッサ(Ven. Moggaliputtatissa)を先頭に、1000人の阿羅漢によって完成されました。これらは著名な例です。

彼らは、艱難辛苦をものともせず、仏法をその他の国家にまで弘めました。彼らの清らかな戒・定・慧は常に世間を照らし、人々を感動させて、(人々は)仏教に帰依しました。もし、彼らの不断の、弛まない努力がなければ、我々は今日、仏・法・僧の名前さえ聞くことができないのです。彼らが衆生を利益する為になした輝かしい事蹟は、記録にいとまがないのです。このような歴史の事実を知った後でも、あなたは阿羅漢が自了漢であると思いますか?

実際、聖者を批判するのは不善業です。もし、許しを得ないのであれば、この種の不善業はあなたの修行の進歩に障礙をもたらします。この点に関して、《清浄道論》は、以下のような物語を記載しています。

古の頃、ある時、一人の長老と一人の年若い比丘が、村に行って托鉢しました。最初の一軒目に来たとき、彼らはお玉一杯の熱いお粥を貰いました。その時長老は胃の中に風が生じて、胃に強い痛みを感じたので、心の中でこう考えました「このお粥は私にとって利益がある。私はこれが冷めないうちに飲んでしまおう」と。居士たちは、椅子を一脚持ってきて、門の外に置きました。長老は座って、お粥を飲みました。年若い比丘は、それを見て嫌悪し、言いました「この老人は、自分の飢餓に打ち負かされて、彼が恥ずかしいと思うべき事をしでかした」と。

長老は托鉢を終えて、寺院に戻った後、年若い比丘に聞きました:

「賢者、仏陀の教えの中で、あなたは何か立脚点を得ましたか?」

「はい、尊者、私は須陀洹です」

「賢者、それならば、あなたはそれより高位の聖道を証悟するために努力する必要はありません。というのも、あなたは漏尽者を侮辱したからです」

その時年若き比丘は、すぐに長老に向かってお詫びしました。こうして、聖者を侮辱することによって、更に高位な聖道を証悟できなくなる障礙を取り除いたのでした。

もし人が聖者を批判してかつ詫びないのであれば、彼はその一世では、いかなる道果も証悟する事ができません。もし、果位の低い聖者が果位の高い聖者を批判してかつ詫びないのであれば、彼は更に高位の道果を証悟する事はできません。実際、どのような人をも批判する事はよくない事です。というのも、我々には、どの人が聖者であるか、分からないからです。もっともよいのは、自己の内心の煩悩を止息させ、他人の欠点をあげつらわないことです。

あなたが阿羅漢の事を自了漢であると批判する時、あなたは彼らの仏教に対する重大な貢献の史実を抹殺しただけでなく、あなた自身の解脱にとっても、障礙を造りだしました。あなたの長い将来の利益の為にも、私はあなたがこのような間違った考えを捨てるようにアドバイスします。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。