wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言。

パオ・セヤドー問答集~#276>問答(16)問16-6<困難克服編>

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#276-151006

問16-6 内部と外部に色々な障礙を抱えていて、修行が上手くいかない時、それでも諦めない為には、どうしたらいいですか?

答16-6 仏・法・僧に対して堅固な確信が必要です。あなたは、仏陀が教えた生死輪廻が事実であると信じる必要があります。たとえあなたが、この一生において、どれだけ多くの善業をなそうとも、もし涅槃を証悟する事がないのであれば、あなたは、生死輪廻を絶え間なく繰り返さなくてはならず、生・老・病・死等の苦痛に出会う事になります。そして、あなたがなした悪業が、どこかの生の臨終の時に熟したならば、あなたは悪道に堕ちる事になり、それが地獄であった時は、極めて大きな恐怖の痛苦が伴います。

《中部・愚人智者経》の中で、仏陀は比丘達に言いました:

「身体と口と意において、悪を行う愚人は、身体が分解して死に行く時、悪道に堕ちるか、苦趣に堕ちるか、地獄に堕ちるかします。

もしこの事を正確に表現をするならば『これは、人々が完全に望まない、願わない、欲さない所の』すなわち、地獄なのです。そして、地獄の恐ろしさは、いかなる比喩をもってしても表現する事ができません。」

ここまで話した時、ある比丘が世尊に尋ねました:「世尊、なにか喩え話をしてください」

世尊は答えました:「いいですよ、比丘。比丘達よ。もし人々が強盗を捕まえて、彼を国王の前に連れて行くとします。そして『陛下、こいつは強盗です。陛下、彼に何か罰を与えて下さい』国王『あなた方は、朝、槍で以て彼を100回突きなさい』こうして彼らは強盗を槍で100回突きました。お昼になって国王が聞きました『あの強盗はどうなったか?』『陛下、彼はまだ生きています』国王『それならば、お昼にもう一度100回突きなさい』それで人々は強盗を槍で100回突きました。そして夜に国王は聞きました『あの強盗はどうなったか?』『陛下、彼はまだ生きています』国王『それならば、夜にもう一度100回突きなさい』それで人々は強盗を槍で100回突きました。』比丘達よ。あなた方は、どのように思いますか?強盗は、300回も槍で突かれて、痛苦を感じませんでしたでしょうか?」

「世尊、300回と言わず、人は槍で1回突かれただけで、苦痛を感じます」

その時、仏陀は、自分の掌くらいの石を拾い、比丘達に聞きました「比丘達よ。あなた方はどう思いますか?如来が拾った、掌と同じくらいの石と、山の王様であるヒマラヤ山では、どちらが大きいですか?」

「世尊。世尊が拾った、掌とおなじくらいの石と、ヒマラヤ山とは比較にならない。それはヒマラヤ山の一部でさえもありません。全く比べる事もできないくらいです」

「同様に、比丘達よ。強盗が300回槍で突かれて感じた苦痛と、地獄における苦痛は、比べものにならないのです。

地獄では、獄卒が焼けて真っ赤になった鉄叉で、(右の)手を刺し通します。次に焼けて真っ赤になった鉄叉で(左の)手を刺し通します。次に焼けて真っ赤になった鉄叉で(右の)足を刺し通します。次に焼けて真っ赤になった鉄叉で(左の)足を刺し通します。次に焼けて真っ赤になった鉄叉でお腹を刺し通します。その時、彼は苦痛を感じます。非常に大きな苦痛を感じます。激烈な苦痛を感じます。しかしながら、彼の悪業が尽きない限り、彼は死ぬことができません。

その後、獄卒は彼を地面に放り出し、斧で彼を削ります。その時、彼は苦痛を感じます。非常に大きな苦痛を感じます。激烈な苦痛を感じます。しかしながら、彼の悪業が尽きない限り、彼は死ぬことができません。

その後、獄卒は彼を馬車に繋ぎ、烈火で燃え盛る地面の上を引きずり回します。その時、彼は苦痛を感じます。非常に大きな苦痛を感じます。激烈な苦痛を感じます。しかしながら、彼の悪業が尽きない限り、彼は死ぬことができません。

その後、獄卒は彼に烈火で燃え盛る薪の上を、上り下りするようにいいます。その時、彼は苦痛を感じます。非常に大きな苦痛を感じます。激烈な苦痛を感じます。しかしながら、彼の悪業が尽きない限り、彼は死ぬことができません。

その後、獄卒は彼を、頭を下に、足を上にして吊りさげ、烈火で燃えて熱くなった金属の鍋の中に放り込みます。彼は沸騰した鍋の渦の中で、煮られます。彼がこのように煮られる時、時には上へ、時には下へ、時には横方向へと振り回されます。その時、彼は苦痛を感じます。非常に大きな苦痛を感じます。激烈な苦痛を感じます。しかしながら、彼の悪業が尽きない限り、彼は死ぬことができません。

その後に、獄卒は彼を大地獄に放り込みます。比丘達よ。大地獄とは:

それは四角くて、それぞれの面に門が一つあり、

周囲の壁は鉄でできていて、屋根は鉄でできている。

床も鉄でできていて、その中は烈火がゴーゴーと燃え盛っている。

その長さは100由旬あって、すべてが烈火で充満しています。

比丘達よ。私は色々な方法であなた方に地獄を説明する事はできます。しかし、地獄の苦痛と恐ろしさは、どのような比喩をもってしても、完全には表現できません。」

 

ここで私はあなた方にお尋ねします。もしあなた方がライターの火をつけて、その火で自分の指を1分間焼いたならば、あなたはどのように感じますか?とても苦痛なのではありませんか?今、我々は、暫し考えてみましょう。地獄に入る間ずっと全身を火に焼かれるとか、鍋で煮られるとか、どんな感じでしょうか?仏陀は経の中で話した物語は、決して我々を脅そうとしているのではなく、我々がそれらの悲惨な境遇に堕ちたくないという、強烈な欲望を掻き立てるように、事実を述べているのです。

もし我々が、仏陀の話に確信を持てるならば、生死輪廻の苦しみから解脱する為、強烈な善欲が生起するでしょう。この種の善欲は、四種類の「成就の因」(神足)の中の「欲成就の因」です。これを、なぜ成就の因と言うのか?それは我々をして、万難を排し、最も高度な精進力をもって修行し、解脱の目的を達成するまで、決して立ち止まらないようにするからです。そして、この種の、困難をものともしない精進力はすなわち、成就の因ですから「精進成就の因」でもあります。この二種類以外に、我々はもう二種類の別の成就の因を育成しなければなりません。それはすなわち、「心成就の因」と「観成就の因」です。「心成就の因」は、心が極度に仏法を愛し、仏法に投入する事です。「観成就の因」は、智慧の事をいい、たとえば、地獄の苦しみを思惟したりする智慧です。もしあなたが何度失敗してもなお、禅の修行を放棄したくないのであれば、あなたは仏法僧に対して、堅固で揺るぎない確信と、四種類の成就の因を備える必要があります。

《中部・愚人智者経》の中で、仏陀は一つの例を出して、悪道に堕ちた愚かな人が、悪道において、どれほどの長きに亘って苦しみを受けねばならないかを語っています。彼は比丘達に尋ねました:

「もし人が穴の開いた軛を大海に放り込んだとして、そして、東風がそれを西の方へと吹き流し、西風がそれを東の方へと吹き流し、北風がそれを南の方へと吹き流し、南風がそれを北の方へと吹き流します。またたとえば、目の見えない海亀が、一世紀毎に一度海面で出て来るとします。比丘達よ。あなた方は、どのように思いますか?あの目の見えない海亀は、自分の頭をその軛の開いた穴につっこむ事が出来ると思いますか?」

「世尊、非常に長い時間を経過して後なら、海亀はそれが出来るかもしれません」

「比丘達よ。私は、その目の見えない海亀が、あの軛に空いた穴に頭をつっこむ為に使う時間は、愚人が悪道に堕ちた後、再び人間の世界に戻ってくるよりは、短いといいます。というのも、悪道においては、修する法がなく、修する善がなく、造る善もなく、造る福もない。悪道の中では、ただお互いの殺戮と弱肉強食だけが盛んなのです」

仏陀の挙げた目の見えない海亀の喩えから(分かるように)、一旦悪道に堕ちた後、再び人身を得る為の時間は、非常に長く、それは想像できない程なのです。また、ここで、あなた方に一つの質問をしてみたいと思います。もし、放逸にして修行しないでいて、欲楽の享受に何十年かを費やし、そして、それを億万年に上る苦痛と取り換えるのは、損なのでしょうか?得なのでしょうか?私は今一つの物語を述べて、一つの非常に愚かな事象を紹介しましょう。

カッサバ仏の時代に、四人の友人がいて、皆富豪の息子達でした。ある日、彼らはお互いに、なすべき事を論じ合いました。その中の一人は言いました「我々の家には多くの財宝があります。我々は何をなすべきでしょうか?今、偉大で慈悲深い仏陀が四方へ遊行しています。我々は布施をし、善を行い、持戒をしなければならないのではありませんか?」しかし、誰もこの提案に賛成する人はいませんでした。誰かが言いました:「お酒を飲んで、おいしい肉を食べよう。これが有益な生活方式だ」最後に誰かが言いました:「友よ。我々には一つだけ大事な事がある。我々からお金を貰って我々と仲良くしない女性はいない。だから、我々のお金を他人の妻に贈って、姦通しよう」この提案を聞いて、全員が声を上げて賛同しました。

その時代から二万年の間、彼らは絶え間なく、多くの美人の女性にお金を贈り、姦通を続けました。死後、彼らは阿鼻地獄へ堕ち、そこで二尊仏の間の長い時間、極めて大きな苦痛を受けました。そこで死んだ後、彼らの悪業が尽きていなかったので、60由旬の大きさの鉄鍋地獄に生まれました。3万年かけて鍋の底に向かって沈んで行き、ようやく鍋の底に着き、3万年かけて鍋の上に浮かび上がってきて、ようやく鍋の縁に到着しました。ただ彼らはそれぞれ一音節「du」「sa」「na」「so」とだけ言うと、また鍋の底に沈んで行きました。

ある時、パセナディ王は、ある美人の人妻を手に入れる為に、夫である男を殺そうと計画を練っていて、寝付かれずにいた所、夜中にあの恐ろしげな四つの音を聞きました。彼は自分が災難にあうのではないかと恐れました。妻のマリッカー皇后(Mallikā)のアドバイスで、彼は仏陀に会いに行き、あの4つの音は何を意味しているのかと聞きました。

仏陀は彼に四人の因果を説明し、その後に、彼らが元々言いたかった四つの偈を述べました。

 

我々は以前、邪悪な生活をしていた。

持っているものを他人に分け与えず、

多くの財宝を持っていたのに、

自分の為の拠り所を打ち立てる事をしなかった。

 

我々はこの地獄において煮られている。

もう六万年が経ったのに、

この苦痛はいつになったら終わるのか?

 

それには終わりがないのです。

なぜ終わりが来ると思うのか?

望んでも、願っても、終わりは見えない。

あなたと私、皆で悪を為したから。

 

いつの日にか、

人間界に生まれたら、

私は必ず布施します。

戒と律とを善く持して、多くの善を奉行する。

 

彼らはカッサバ仏の教化の時代に巡り合せたのに、そのチャンスを大切にせず、地獄に堕ちてから後悔しました。が、しかし、遅すぎました。今の世でも、多くの人が人身を得ていて、かつ極めて出会い難い仏法に出会っているのに、多くの者はそれを大切にせず、欲楽を享受する事に沈潜しています。皆さんは、あの愚人の真似をしたいのでしょうか?

もし、皆さんが極めて出会い難い仏法に出会ったチャンスを失いたくないと思い、地獄の苦痛を受けたくないとも思うのならば、皆さんは堅固な確信の心を育成しなければなりません。皆さんは、もし仏陀の教えた方法で戒定慧を修行するならば、須陀洹道果を証悟する事が出来、そうすれば永遠に四悪道に堕ちる事はないと、確信する必要があります。阿羅漢果を証悟したならば、もはや再び生死輪廻する事はありません。このような確信を基礎に、皆さんは、強くて力のある善欲と精進を励起させ、堅忍不抜の気概をもって、阿羅漢果を証悟するまで、修行に努めなければなりません。

皆様が一日も早く阿羅漢果を証悟しますように。

(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṁ me puññaṁ nibbānassa paccayo hotu)。